川柳塔WEB句会。

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第22回  「静か」選後鑑賞


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「川柳においての悪党の句」


応募総数327句の中から、天・地・人、佳作5句を含めて抜句40句。

さて、くんじろう選の当落の基準は何処にあるのだろう。


①「静か」の意味を説明している句は抜かない。

②五七五であるから、何処かで見たことのあるような句になることもあるが(暗合)、余りにも既視感のある句は抜かない。

③人の道を説いたり、人生訓をたれたり、余りにも清く正しい句は抜かない。むしろ川柳における悪党の句が好ましい。

④冒険心の無い句は頂かない。今の川柳界に、いや、自分自身の固定観念を壊してかかるような句に期待する。

⑤基本は五七五、十七発であるが、それに拘るあまり表現が窮屈に感じる句は頂かない。下六、中八、あるいは八九、や、それを越えたり短かったり、必然を感じることが出来る句は喜んで頂く。


と言うようなところを基準に入選句を絞っていった。


ご異議、ご異論があれば、ぜひぜひお聞かせください。


と、まあ大いにエラそうではあるが、失礼の段はご容赦のほどを。


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■佳作5句。


ふるさとの橋は静かに拒絶する

かきくけ子


見事な句である。一見非の打ち所がない。相当な実力者と見た。だとすればである。「ふるさとの」に少し不満が残る。「ふるさと」を現す他の表現が無かったか。選者の贅沢ではあるが。他に「愛されて静かに腐敗する夕日 まさと」の「愛されて」や「ハンカチで包んだ咳を持ち帰る  平井美智子」の「持ち帰る」が最後まで小骨が刺さったように引っかかった。


座禅組む心療内科二号棟 

板垣孝志


中々の心象句である。二号棟はおそらく薄暗くジメッとしている。コンクリートの打ちっ放しの壁には雨に侵食された傷が生々しい。と、そこまで読んで、ふと、心療内科と座禅の距離が近すぎたのかも?と疑問を持った。これはこれで屹立した一句なのだが、天地人に入れることが出来なかった。


コインロッカー開く  静かの海に出る

月波与生


「静か」の兼題で「静かの海」の使い方は良いのであろうか?「静かの海」は「静岡県」と同じく固有名詞であるから、こう言う使い方は兼題のこなし方としては不向きである。と、言うご意見もあろう。が、しかしである。コインロッカーを開くと月の「静かの海」に出るのである。この飛躍は、それらの批判を乗り越え余りある独創性である。惜しむなくはこの一字空きである。本当にこの一字空きは必要であったかどうか。はてさて。


ぱふっ程の音も出さずにビックバン

アズスン安須


ぱふっのオノマトペがビックバンにくっついたのには恐れいった。ぱふっの小さなオノマトペにビックバンのデカさ。宇宙の始まりが「ぱふっ」という音だとすれは、大いに愉快である。ただ一点、「程の」を用いて作者は五七五としたのであるが、「程の」は必要だったのか。「ぱふっ音も出さずにビックバン」てな作り方もあったのかも。あるいは「程の」に替わる何か?


その口にエポキシ樹脂を塗りなはれ

田口和代


笑わせていただいた。笑わせて頂いたのだが、「塗りなはれ」の関西弁はいかにも狡い。狡いのだが、この肩の力の抜け具合は何とも言えぬ可笑しみである。しかしである。「塗りなはれ」はこれっきりにしてください。


人の句。

しずかちゃん、亡命先のパリで死す

いなだ豆乃助


この句の「しずかちゃん、」も先の「静かの海」と同じ問題を孕んでいる。おまけに「、」まで付いている。伝統川柳の皆さま方から大目玉を喰らいそうである。それにも増して「亡命先のパリ」での「死」は沈黙である。無音である。レオナルドフジタがそうであったように。その死の主人公が、やがてノビ太の妻となるしずかちゃん、なのである。となれば、「しずかちゃん、」は動かぬであろう。賛否はあろうが、この作者の「押し付け」が潔い。


地の句。

最後の人類まであと十二人

森山文切


いやあ、驚いた。「静か」の兼題での句である。人類も最後の十二人にもなれば静寂そのものであろう。昔のモノクロ映画に「十二人の怒れる人達」?確か、こんな題であったと思うが、ある少年の殺人の罪について陪審員達の心の葛藤を描いた名作である。実際の陪審員制度がどうであるかは定かではないが、この十二人という数は「最後の晩餐」にも通じて意味が深い。果たして、ユダがそこに含まれるのか?このワンフレーズで仕上げたこの句は、「静か」の設問に対して圧巻の解答であろう。


天の句。

しゅんかんの交尾スクランブル交差点

月波与生


スクランブル交差点に群衆がいる。カメラ(視線)俯瞰へと昇る。どんどん遠ざかると、やがて群衆は米粒よりも小さな点となる。その点がやがて蠢きだす。まるでその点の集まりが一つの生命体のように。スクランブル交差点らしき空間でその生命体が前後左右から交じり合う。その、すべての営みが静寂の中で進んでゆく。それは交尾であろうか。細胞分裂であろうか?電子顕微鏡で覗いたような、ある種の生命の誕生のしゅんかんかも知れない。

定金冬二の有名な句で

「一老人   交尾の姿勢ならできる」

と、いうのがある。「交尾」などと言う言葉は、その辺の善男善女は使わない。いや、タブーであろう。「目立ったらええんか!」「びっくりさせたもん勝ちか!」と色んなご意見があろうと思うが、近頃の川柳の傾向として、余りにも物言わぬ句が持て囃されているような気がしてならない。これは句ではなく散文ではないか!と思えるようなさらっとした句が良しとされているようだ。皆、ええ子、ええ人ばかりなのである。

あえて、この句を天としたのは、作者のその挑戦的な姿勢。既成概念に対するある種の抵抗。そんな気概を感じたからである。まさしく「川柳においての悪党」の句である。

文責・くんじろう