二世教育の将来を共に考える (11) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

二世教育の将来を共に考える




為に生きる教育は原理の基本公式

先々回から「為に生きる」生活教育で重要な三つのポイントを具体的に説明し始めましたが、今回はその中の最後のポイントとなる「手本になる家庭」について考えてみたいと思います。

まず最初に子供達が「正しい価値観」に基づいた正しい善悪基準を持って、正しい方向性に向かって「為に生きる」活動を続けていくとします。これは基本的に顕進様の言っておられる「アライメント」を教育に適応しています。更に、その活動の過程で子供達が動機の限界と継続することの限界を感じ始めます。しかし、そこで彼らがあきらめないで、「挑戦的訓練」を続けながら、特に「神」を意識しながら限界を乗り越えて行くところに、彼らの個人的変革 (Transformation)が起りはじめます。

この事は、真の御父様が御自身でも何度も体験され、又最も好んで引用されるという「生きんとする者は死に、死なんとする者は生く」の聖句で示されているところの原理と基本的に同じです。顕進様もやはりこの聖句をよく引用されながら、絶対信仰の必要性を説かれるだけでなく、我々が限界に挑戦してのり越えていく過程を、霊的・心情的な変革における絶対必要要素として説明されます。そして、子供達がその様に具体的な経験をもって体験し成長して行く事をCARPEpistemologyと呼んで、教育における基本公式とされています。




サービス活動で行う原理的教育

さてそう見てきますと、顕進様が提唱される「為に生きる」サービス・プロジェクトは単なる組織の宣伝や、又は伝道の為の一手段では決してなく、我々自身が具体的に成長していく為の必要過程であります。そして更に、それは私達食口だけでなく、全ての人達が共に成長していける道であるともされています。

我達は今まで万物復帰や伝道活動や教会生活等を通して色々な事を学んで来ました。しかし、後天時代を生きる我々祝福家庭の為には、そのらの同じ原理的教育内容を、以前の様な特殊環境だけでなく、より一般的な環境の中でも使える教育内容が、必要になって来るでしょうし、特に将来の子女教育を考えてみますと、家庭の中でも出来る指導要綱がもっと必要になって来るでしょう。なぜなば、少数の子供達が短期間受ける訓練ならばともかくも、長期渡って全ての祝福子女達が、全員特殊な環境で訓練を受けることは、組織的にも社会的にも難しくなっていくと思われるからです。

子供達に対して原理的教育を地域や家庭で続けていく為には、あまり詳しい講義は必要ありません。知的な内容は定期的な団体修練会等でも出来ます。むしろ日常生活に於いては、子供達の霊的・心情的変革と成長の為に、原理的に見ても、又私達の経験から振り返って見ても、人間が具体的に神に出会って行く基本的過程を簡単に、しかし的確に抑えたものが必要となってくるでしょう。そして、それこそが、顕進様の提唱している教育指導と言えます。



手本になる家庭の必要性

さて、最後に子供達にとって、最も大切なのは、勿論どんな指導要綱よりも、具体的に「為に生きる」親の姿を見て育つ事でしょう。その反対の例を挙げるならば、、一般社会でも、他人を教えたり指導する立場の職業の親の子供達、例えば教師や警察官や牧師の子供達が色々な問題を起こす事が知られています。それらは皆んな、親達が立派なことを言ってもちゃんと実行できていない例を見てきているからと言っても良いのではないでしょうか。

我々親が「為に生きる」手本になる為には、まず順番として、夫婦がお互いに為に生き合っていないといけません。そして、次に夫婦が一緒になって子供の為に生き、更に家族で一緒に地域と社会の為に生きて行ければ、それが最高です。勿論、家族が、同じ方向で「為に生きて」行く為には、そこに「神」がいなければなりませんし、たとえ子供達が「神」を理解しなくても、最低そこには「内的価値観」を中心とする目的なければならないことは、最初の項目で説明したとうりです。

しかしながら、その様に完全に「為に生きる」事で一体化出来る家族は少ないものです。ですから、その為の家庭単位の訓練として、「神」と御父母様が我々に与えて下さったのが家庭教会であり氏族メシアであると思われます。我々が家族で一体化して、氏族と地域・社会の為に生きれれば、それが親として子供達に与える事ができる最高の教育と贈り物であると言えましょう。そして、それを何よりも感謝し、喜んで実践していく時に、子供達は将来の自分達の祝福に対して大きな希望を持つ事が出来るのです。(次号につづく)

                  (2011年12月18日付)