学問の罪科 | 気力・体力・原子力 そして 政治経済

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原子力と経済についてはうるさいですよ!
 (旧有閑爺いのブログ)

 

 学問の分野は大別して、自然科学と社会科学と人文科学の三つの分野に分けることが多いようです。
 いずれの学問も、人類の歴史の積み重ねにより、当然のことながら発展するあるいは発達するという側面があります。その研究の深化の成果も広く利用され、人の暮らしに役立っています。こうしたことが学問の功績です。
 
 しかし、学問には罪科もあります。例えば自然科学の分野では、理論物理学の成果が武器へと応用され、原爆という大量殺りく兵器を生み出しました。その成果は米国がウラン型とプルトニウム型という2種の異なるタイプで実現をして、それぞれを広島と長崎に投下し、ある種の人体実験を大量殺戮の中で行ったのです。
 これなどは、学問の罪科であります。この原爆の実用化には多くの学者が動員され、結果において大量殺戮に手を貸したわけです。アインシュタインが相対性理論を発表していなければ、広島と長崎の悲劇は避けられたかもしれないのです。
 
 しかし歴史は非可逆です。また個人的には忘却は可能かもしれませんが、人類がアインシュタインの成果を決して忘却することはありません。そこのところに、学問の罪科の恐ろしさがあるのです。
 
 では、社会科学の分野ではどうなのかですが、私は社会科学の内でも特に罪科を問題とすべきは経済学である、と思っています。
 私は自身のブログやブログ「進撃の庶民」において、経済学を罵倒する記事を発表し続けています。またかつて三橋ブログにおいて経済学を批判するコメントを多数アップしました。
 その経済学の中でも、特に問題とすべきは「マル経」(マルクス経済学)と「現代経済学」が双璧であり、その罪科を明らかにする必要があると私は考えているのです。
 
 私の若いころはマル経(マルクス経済学)が幅を利かせていたのですが、この経済学も功績は無く罪科のみ際立っていると思います。
 ソ連においてはこの経済学の主張は破綻し、国家まで消滅しましたが、今もこの経済学を信奉する(と見せかけている)集団がチベットやウイグルといった民族を抹殺すべく横暴を重ねています。
 
 しかし、現在日本で広く信じられている「現代経済学」も「マル経」に負けないぐらいの罪科を積み重ね、今もその罪科は広がりつつあります。
 いま急速に「移民」が流入しているのも、就労の形態が「派遣」が主になりつつあるのも、農業分野や水道などのインフラも外国資本に売り渡されようとしているのも、本来「民族資本」として守るべきであった「日産」「シャープ」といった基幹産業が外国資本に蹂躙されているのも、全て「現代経済学」の主張に従っていることから起きていることです。
 その結果、日本国民は窮乏貧困へと追いやられ、「一億総中流」といわれた時代があったなど到底信じられないまでに、階層の分化が進み、一部の人は移民と低賃金を争わねばならないまでに落ちぶれ果てたのです。今は一部の人ですがやがて大部分の人がそうなる可能性だって否定できません。
 
 しかしながら、ブログ「進撃の庶民」にも「現代経済学」は浸透していますので、これに対峙して「論」を講じても多勢に無勢で「蟷螂の斧」を振るうに等しい状態です。
 ソ連は誕生から消滅までに約70年の月日が必要でした。中国共産党の消滅は何時になるかわかりません。日本で「現代経済学」が消滅するのに後何十年かかるかわかりませんが、反現代経済学の運動は続けるべきと考えています。
 
 私は「現代経済学」 の主張するところは、すべて「ペテン、錯誤、妄想、詭弁」のどれかに当てはまると思っており、彼らの主張することはこのカテゴリーで分類すればよいし、何一つとして成立するものが無いと、論じていけばよいと思っています。
 たとえ蟷螂の斧であっても、振るうほうが良いのであって、それが経済学の罪科を避ける方法だろうと思い、今後も反現代経済学の運動を続ける所存です。