フラという言葉を、辞書で調べると、踊り、とか、踊ること、という風に書いてある。
果たしてそうだろうか?

たとえば、フラコンペティション、とは、単なる踊りの祭典、ではないよね。もっともっと奥が深い、言葉では表現できないようなものだ。

だから、フラ=踊り、ではなく、フラはフラなのだ。

では、レイについて。
Leiという単語を、辞書で普通に調べれば、リース、ガーランド(花輪)という言葉が出てくる。

果たして、その解釈は合っているだろうか?
一般的な解釈としては間違ってはいないが、私にとってはとても違和感を感じる。

そもそも、レイとは、何か。

私は、フラ出身で、長年フラと向き合い、フラとは何かを考え、その中でレイの位置づけとは何かを考え、レイを編む。私の師事してきたクムフラからの伝統を踏襲してきた。
特にフラの時のレイは、私たちフラと向き合っている人間にとって、とても特別なものだ。

なんとなく、とてもとても綺麗な花輪を作って、かぶっているのとは全く違う。それなら、シャンプーハット同然だ。

なぜフラにはレイが必要なのか?
考えたこと、ありますか?

フラを知らない、もしくは知ったかぶりをするような、花屋さんが作る、高価な花輪、高価なフラワーアレンジメントのような、レイは、見ればわかるよね。どう見ても、その考え方、方向性が完全に違う。
フラを知っている人なら、絶対理解していなければならないことが、欠落する。

確かに、そういうハワイ人も多くいるし、ハワイでも日本でも花屋さんがレイを作って、高額に売っているのも知っている。
まぁ、ハワイでは安く売ってるけどね。ハワイで安く売っているというのは、材料が安いというだけではなく、特別な意味合いがないから、なんとなく安く売っている、ということだ。

レイの作り方の本が売っていたり、DVDが売っていたり、それは裾野を広げるという意味ではいいかもしれない。
お祝いには、レイは不可欠だから。

でも、フラをやっている人間にとって、それが「フラのレイ」だと、誤解を与えてしまう可能性は否めない。
非常に危険だ。

レイコンテストは、フラコンテストとは違う。

何でもかんでも、レイ単体で素晴らしいといわれる、ものが、フラ目的としては、マッチするとは限らない。
編み方の方法、ではない。
根本が違うから、出来上がりが違う。

私も、適当にレイを編むこともあるし、ウルベヒヤーンで編む時もある。それは、フラには使えない。
カヒコに、なんかもってのほか。
アウアナなら、Fancyだから、ギリギリセーフか、ギリギリアウトか。
クリスマスの時に、モールを巻いて踊ったこともあるしね。

そもそも、レイが、リースと解釈するなら、花はメインの材料にはならない。
すなわち、レイは、レイであって、花はない。レイは編むもの。

フラワーレイ、という概念は比較的現代になってから。

神棚に榊を捧げるのと同じように、kuahuにレイを捧げるとした時、フラワーレイは、ho'okupuにならない。

あなたの神棚の榊の中に、バラの花なんか混ぜないよ。

フラの時は、何を賛美するか?
それを考えれば、答えが分かると思いますよ。

ヒントは出しておきますが、
最終的な結論付けは、ブログでは教えません。

綺麗なお花だけの装飾より大切なものは、何か。
考えたらいい。

私は、フラのスイッチをONにすると、神話の世界が広がり、時々、ありありと感じることがある。

お前バカか?という人には、私が持っているものと同じスイッチは、ない。