西松建設事件の奇妙さ
6月19日、西松建設の前社長を被告とする裁判が開かれた。
まず、問われた罪が何であったのかが問題である。新聞などではこの、
何が裁きの対象化を曖昧にしたままの論調が、しかもどう考えても
納得できない主張がなされている。
起訴されたのは、
政治資金規正法(第三者名義の寄付禁止など)違反と
外為法違反
である。
けっして、あっせん利得処罰法違反でも、まして、談合罪でも贈収賄でもない。
ここのところをきちんと押さえておかない議論は、政治的な思惑を隠しているの
ではと疑わざるをえないものである。
検察官は、訴因にもとづき、必要な範囲で立証する義務がある。
小沢事務所の天の声などと言う、あたかも談合罪事件かのるような弁論は
おおいに奇妙といわざるを得ない。まして漠然たる「天の声」による成果まで
まるで贈収賄、談合事件の法定と紛うほどの主張は、訴外第三者の罪を
暴こうとする、刑事裁判ではけっして許されない方法である。
これを受けて、またしても、小沢一郎氏の説明責任にふれる論調も散見される。
こまるのは、これを主張するのが、それなりの警察、検察に関する経験を有し、
世間的に信用される立場のひとの口からもたらされることである。
痴漢事件を典型として、やってない事を説明、証明することは、非常に困難である。
いったいどんな説明がなされれば、説明責任を果たしたと認知するのであろうか。
まさか、贈収賄、談合を自白せよと迫るつもりではあるまいが。
検察も報道もその劣化は眼を覆うばかりである。この国はいったいどこに行こうと
しているのであろうか。