公訴時効と除斥期間 | 橘 白扇 のひとりごと

公訴時効と除斥期間

東京都足立区における小学校教諭(石川千佳子さん)殺人・


死体遺棄事件に関する、遺族の民事損害賠償請求を最高裁


は民法の「除斥期間」を適用せず、4,200万円の賠償を命じた


二審判決を認め、公訴時効完成後に出頭した元警備員の上告


を棄却した。


4月28日のこの判決は事前に予想されたとおり、長期間殺人の


事実さえ知り得なかったという特殊事情に配慮したものとされる。




この判決を理解するためには時効と除斥期間の違いを見てみよう。



 時効とは、


    一定の期間が経過することにより、権利を取得したり、


    権利の消滅の効果を生ずる制度である。


    前者を取得時効、後者を消滅時効と言う。


    刑事訴訟法の公訴時効は消滅時効の一例である。


    民法ではその162,163条で所有権と、所有権以外の


    財産権の取得時効を規定している。


    民法上の時効は、時効の利益を主張、つまり援用しなければ、


    裁判上は時効に基づいて裁判することは出来ない。


    消滅時効とは、権利の不行使が一定期間継続することにより、


    権利が消滅する時効のことをいう。


    消滅時効は債権と、債権以外の財産権の一部に認められるが、


    所有権、占有権、特許権などには適用されない。


 除斥期間とは、


    ある種の権利について法律上定められた存続期間であり、


    予定期間または失権期間とも呼ばれる。


    権利関係の速やかな確定のために定められている消滅時効に


    似ているが必ずしも一定の事実状態が継続していることや、


    当事者の援用を必要としない。


 除斥期間か消滅時効かの判別は、文言が「時効ニ因リテ」とあるか


 否かによるとする見解と、権利や規定の性質によるとする見解にわかれる。




今回の最高裁の上告審判決は、民法724条の不法行為に対する損害賠償


請求権に対する除斥期間を適用しなかったものである。


この殺人事件は昭和53年(1978年)に実行され平成16年(2004年)に


元同校の警備員が出頭して犯罪の事実が明らかになったものである。


遺体もその供述どおり、元警備員宅の床下から発見されたため、


殺人の犯人であることは間違いがないとされるものである。


殺人の公訴時効は既に完成しており、損害賠償だけが、判断される状況


となったものである。


 今回の判決は、出頭が無ければ殺人の事実さえ知りえず、単なる失踪、


行方不明として処理されてしまうものて゛あった事を最大限考慮し、遺族の


救済を図ったもので、個別事案に対するものとしては、妥当な判断と言える。





 判決のもたらす影響についても、考えてみよう。




以前に公訴時効を巡って、公訴時効完成を3つのケースに分類した。


  ① 事件が認知されていなかったケース


  ② 被疑者が指名手配されていたケース


  ③ 事件の被疑者が特定されていなかったケース


の3分類である。


犯罪は、その発生が認知され、捜査が行なわれ被疑者が特定され、


被疑者を逮捕し、検察官が裁判所に起訴し、裁判所が有罪か無罪か


を判断し、刑罰を決定する。そして刑罰が実行されるという形で処理


される。


まず大前提となるのは犯罪の事実、事件を認知しなければ、それ以降


の段階に進む事はありえないのである。



 今回の判決の対象となった事件は、実行者の出頭が無ければ認知


されなかったと考えるのが自然である。


 わが国の行方不明者は警察への捜索願いの件数などから、年間


10万人を超えるとも言われる。もちろんこの数字には、無事発見され、


あるいは自分で戻るなど、解決されたものが多いと思われるが、


何らかの事件、事故に巻き込まれた行方不明者も存在していると


思われる。事故、事件の場合、何らかの手がかりが無ければ、


解決の道は無い。


 今回の判決で損害賠償義務を課された結果、犯行を悔い、遺族に


謝罪しようとして、犯行の事実を告げ、警察に出頭する事例は


今後、その例を見なくなるのでは無いか。


誰にも告白することなく、犯罪実行者が、その生を終えるまで、沈黙


を貫く事となろう。


せめて犯罪の事実であっても、消息を知りたいという、遺族の希望は


かなえられなくなる。




 判決のもうひとつの影響


裁判は個別の事案につき、法律判断を下すものではあるが、


これまでに除斥期間を認めて請求を棄却してきた、戦後補償訴訟、


公害訴訟との整合性をどう取るかという疑問である。


ことに海外からの戦後補償訴訟は、訴えたくても国交の問題や、


言葉、費用の問題で訴えられなかったという事情を斟酌しなければ、


今回同様、著しく正義、公平の理念に反するということになるのでは


ないか。


 今後、近隣諸国から戦後補償請求が多数提起されるであろうことは


予測しておくべきである。