母親を連れて父親のホームに行く。
父親は、少しずつホドケていく。
私のことをいつも通り「ムスメ」と呼ぶが、娘っていうのは何だっけと言うようになった。
母親のことをママといってワイフだといっているが、ママと母さんがごっちゃになって、死んだおばあちゃんも混同してくる。

そんな時は、宇宙のことを思う。
物理学など何もわからないが、宇宙を作る物体というか、原子というか、そんなちっちゃいちっちゃい最小とされるモノのことを思う。
このちっちゃいちっちゃいモノが集まって人になり、生き、やがて死ぬ。

誰が誰の家族で、親で子で兄弟姉妹で、なんだかんだということが、宇宙のことを思うと、生命の成り立ちのことを思うと、もはやそんなに固執することもない悲しむこともない気がしてくる。
(そういえば、そんなことを般若心経では言っていたような。すごいもんだなあ)


ホドケてくる父親は、どんどん宇宙に近くなっているのかもしれない。
人のしがらみを超え、宇宙に浮かぶのかもしれない。
そう思うと、悲しくなんかない。

みんなやがて、宇宙に浮かぶのだ。
宇宙に還るのだ。
命というのは、きっとそういうものだ。
そう思うと、ホッとする。
今を一生懸命生きようと思う。
肉体がある間は、それを使って一生懸命生きようと思う。
ジタバタしながら生きようと思う。

いつか土に還り、宇宙に還るのだから。
ああ、心が軽くなってくる。