こうして、毎日ばたばたブログを書いていると、前に書いたもののことを忘れて再び、なんてこともある。
そのくらい、モウロクしているのだが。

昨日、久しぶりにラジオでお会いした昇太さんの番組。
興味のあることが「電動キックボード」で一致した。
乗ってみたいなあと、二人の昭和の子供は思っていたのだった。

今は電動だが、昔は自力。
自分の足で蹴りをいれながら加速してボードに乗る。
この乗り物に果てない憧れを持ったのは、昇太さんも同じだったと知った。

でもその頃、この乗り物に乗れる子供は限られていた。
どのくらいの値段だったかはわからないが、まず販売台数も少なかったろう。
すうすうと走るこの乗り物に、アメリカ的豊かさを感じた子供は多かった。

アメリカでは、みんながピョンピョン跳ねるベッドに寝ていて、大きな犬がそばにいて、お母さんは牛乳をピッチャー(そんな名前も知らなかった)から子供のグラスに注ぐ。
毎朝牛乳屋さんか届く牛乳ビンしか知らない子供は、それさえ憧れの的だったもんなあ。

で。そんな豊かなモノの一つがその乗り物だった。
なんという名前だったか、キックボードなんていうんじゃなかった、スクーターとかそんな名前だったなあ。

だから今でも気になる。乗ってみたい。
でも、もう乗れない歳になってしまっていた。
歩いていて転ぶのだ。
自転車ならまだしも、新しい乗り物をきちんと乗りこなす自信など、ない。
残念ながら、ない。

あーあ。
この無念さを、ご同輩ならお分かりいただけるだろうか。

でも密かに。
だあれもいない場所で、だあれも通らない道で乗ってみる、そのことを夢見ている。
できるならその時に、もうれっきとした「おばあさん」になっていないことを祈るのみだ。

ああ、人生は短い。