知人から送られてきた桃が、とても美味しそうに並んでいる。
これまでは、食欲の旺盛な父親がいたので、スムーズになくなっていったが、今はそれが難しい。
大きく可愛い桃たちを、食べごろになんとかしたい。

そうだ、と、床屋さんに出向いた。
この床屋さんは、ずっと父親がお世話になっていた店で、おばあちゃんが一人でやっている。
去年暮れに、父親を連れていったきり、その後、なんの挨拶もしていなかった。

腰や脚を痛めていても、それは丁寧な仕事をする気丈なおばあちゃん。
おばあちゃんなどといっては、はばかれる。
とはいえ、醸し出す雰囲気が柔らかく優しく、実際に声にするわけではないが、その響きが似合う。


桃を袋に入れ、ピンポンとドアチャイムを鳴らす。
コロナ以降、もう店はきほん閉めている。
(理髪をお願いする時だけ、電話をかけて開けてもらう)

マスクをしてでてきたおばあちゃんに、父親が長い間お世話になったお礼をいい、今はもう家にいないことを告げる。
すると「主人が今月亡くなってしまったんです」と言う。

聞けば、つい最近のこと。
おばあちゃんの目が、まるで眼医者さんの油薬でも塗ったようにとろとろ滲んでいる。
それが涙なのかどうかさえわからない。
寂しさだけが、玄関の扉から流れてくる。


ずっと一緒に床屋さんをしていて、腕の良いご主人が病気でリタイアしてからは、一人で切り盛り。
床屋さんには床屋さんのツガイの生活があった。

「まさか、こんなに突然死んじゃうなんて思いませんでした」
とはいえ、長期闘病もしていて、80才半ばも過ぎている。
それでも、おばあちゃんには「突然」なのだ。

思えば、なんでも「突然」ではある。
覚悟していても、予想していても、ものごとはすべて「突然」だ。

桃を渡すと。
「主人も私も大好きです、桃。祭壇にあげます」

哀しいことは哀しいが、これまでの長い髪の毛をすっきりと短くしたおばあちゃんには、次への足掛かりが見えた。
寂しいけど、哀しいけど、ちゃんと生きてく。

突然のあと、ちゃんと次へ歩き出す。
この強さ、したたかさは学ばねばと、お別れのお辞儀をしながら胸に刻んだ。