京都から大阪へ。
8月13日の大阪公演を前に、キャンペーンをする。
このキャンペーン、コロナの時にはどうすることもできず、リモートでの取材などしていた。

これではどうにもならないのだが、これはこれでやはり楽なので、コロナですっかり「楽」を覚えてしまったカラダとココロには、カツを入れられた感じ。

しゃべる。臨機応変にしゃべる。
このことさえ、ここ二年は遠ざかっていた。
とにかく、社会復帰な感じなのだ。

初日、大阪での最後の仕事が終わるともう9時。
とりあえず何か食べねばと、出向いたのがけっこうディープな商店街。
いや、もともと大阪はこうした街でもあったのに、今回泊まったホテルも新しく、いわゆる「キタ」と呼ばれる街は、再開発ですっかり様変わりしている。
にょきにょきと大きな高いビルがたくさん建ったので、空が狭くなった。
これからどんどんとこうした街になっていくのだろう。

新しいビルの間に、古いビルが壊されるのを待っているかのようにたたずむ。
ああ、ここってこのビルがあった場所かと、かろうじて以前の記憶を戻す。


「もうミナミのほうじゃないと、昔の大阪はないですねえ」と地元の人が言う。
いや、そのミナミも、コロナ前は外国人だらけで、もともとの情緒が消えてしまっていたことを思い出す。
私が勝手に思い入れをしている大阪の街。
それは、もう私の記憶の中だけなのかもしれない。

大阪はニンゲンファーストの街だった気がする。
東京だったらハジかれてしまいそうな人たちが、ちゃんと生きられる街。
それを愛してしまったのは、まったく私の勝手な思い入れだ。


そうはいっても、やはり、なんだか寂しい。
アタマの中に生き続ける「ナニワ」の街を、私はきっとずっと恋しく思うのだろう。

翌朝。まさしくナニワの風格を現した、大好きな浜村淳さんに、またお会いでき、浜村さんの顔の入った一億円札束ティッシュペーパーをいただく。
これ、ほんとサイコーですわ。