ショーケンが亡くなった。
テレビに映る若き日のショーケンの、なんとまあカッコいいこと。
手足が長く、皮膚の薄い、ケンカっぱやそうな、酒癖の悪そうな、繊細そうな、少年のような、切れ味のいい小さいナイフのような。
まあ、ほんとに、イイ男だ。
ちょうど、知人のライターの方からメールが届いていて。
今はない渋谷公会堂でのコンサートのことが書かれていた。
客が来ないので、大幅ダンピング料金で、最前列。
客席には、ジョー山中やら安田力也やらと、危険度の高いメンツ。
30分遅れで現れたショーケンは、太って声も出ない。
最悪のものなのに、いかにもショーケンぽい。
ショーケンて、こんなふうに愛されていた人だった。
乙女のころ。(なんだその乙女ちゅうのは)
乙女たちは、ジュリー派とショーケン派に分かれた。
ちょうど、通っていた中学は、ショーケンの家の近くで、ショーケンは不良だとみんな認識していた。
不良。もう死語のようだ。
昭和の産物のようだ。
でも、不良にはなんだか魅力があった。
カッコいい人は、たいてい不良だった。
「ラストダンスは私と」というシャンソンの名曲の歌詞。
ダンスはお酒みたいにココロを酔わせるわ。
ショーケンが唄うと「お酒」が「クスリ」に替わっていた。
あ、やばいよこれ。
みんなワイワイいいながら楽しんだ。
今だったらありえない。
許されない。
昭和だからあり得た。
その昭和から平成になって、ショーケンもさぞ生きにくかっただろうと思う。
なのに、もうその平成も終わる。
内田裕也さんやらショーケンやらと、元祖不良の人たちは、今の内とばかりに駆け込むように、天国に行ってしまった。
美空さんが平成を生きなかったように、ショーケンも次を生きなかった。
そうそう。
クスリのことだけど。
昔の日本映画では、こんなセリフがあった。
「ああ、疲れた、覚せい剤飲まなきゃなあ」
60年代の猛烈サラリーマンがタクシーの中でつぶやいたものだ。
そういえば、ヒロポンの後遺症で亡くなった人も、たくさんいた。
それが昭和。
昭和はもう遠くなる。
いっそう遠くなる。