表参道から渋谷を歩く。

 

以前、「こどもの城」があったあたり、青山劇場、青山円形劇場も、解体に向けて立ち入り禁止のシートで区切られている。

 

 

そうだ、ここ子供の天国だったよなあ、と思い出す。

 

円形劇場でコンサートをすると、ロビーには子供がわんわんいて、

みんなが走り回っていた。

トイレもお母さんと子供だらけ。

 

昼の公演は、だから、劇場っていうより託児所みたいで、おかしかった。

 

 

 

 

 

そして。

この施設と、道路をはさんで向かいあたり。

 

ここが今話題の南青山の児童相談所建設現場だ。

 

 

一部の南青山住人の「プライド」で、その建設反対運動が起こったところ。

 

 

なんかなあ。

と思いながら、歩く。

 

人として、絶対言ってはいけないこと。恥ずかしいこと。

 

そういうのを、全部、聞いてしまった気がした。

 

 

 

「億というお金を使ってここに住んで、それで良い学校に子供を通わせて、買い物だって大根一本高級スーパー紀伊国屋で買って、それなのに、そんな人たち、子供たちが集まる場所が建つなんて許せない」

「そんなもん建ったら、せっかくの地価が下がる、どうしてくれるんだ」

「ここは南青山なんですよ、南青山、そんなもん他にいくらでも建てるとこあるでしょ」

 

 

 

 

まったく。聞いてはいけない言葉たちだった。

 

 

 

 

この児童相談所、略して児相は、DV被害者の駆け込み場所でもあるという。

 

夫から暴力をふるわれ、子供共々逃げてきた人のオアシスにもなるのだ。

 

 

 

 

幸せと不幸せは、紙一重だ。

 

いつなんどき、それがひっくりかえるかわからない。

 

 

今、ちょっとでも幸せだと思う人は、その幸せを、今ちょっとでも不幸だという人に分ければいい。

 

そして、また、そのちょっとでも不幸な人は、今度、ちょっとでも幸せになったら、また、ちょっと不幸な人にその幸せを分ける。

 

 

幸せは、きっと誰のものでもないのだろう。

 

いろんな人の間を行き来してるもんなんだろう。

 

人は「生きてる」んじゃない、「生き合ってる」んだろう。

 

それが、人の幸せの形なのだろう。

人の叡智なのだろう。

 

 

 

 

言ってはいけない言葉を言ってしまった人たちは、もしかしたら幸せではないのかもしれないなあと思った。