日本が2対2の引き分けになった。
という夢を見て起きた。
起きてみたら、テレビでも、なああんにもやっていない。
あ。負けたんだ。
きちんと負けたんだ。
代わりに歌丸さんの映像が流れている。
そうだった、昨日亡くなったのだった。
この噺家さんを、私は好きだった。
カラダがどんな状況になっても口跡がしっかりはっきりしていた。
色気もあった。
「間」も良かった。
噺は、しゃべっていないところにこそ、その人の技量がわかる。
その人の器量がわかる。
大病を抱えながらも、新しい噺に挑戦する。
これがどれだけスゴイことか。
(たった二番だけの、小話ならぬ、小唄のようなシャンソンでさえ覚えるのに四苦八苦してる私。
ああ、ナサケナイ。)
歌丸さんのインタビューで、なるほどなあ、やっぱりなあと思ったのは。
「新しい噺を覚えて、それからが大変なんです。
それをどう自分のものにしていくか、そこからなんです」
歌丸さんの表情は悲壮にも見えた。
ああ、歌と全く同じだ。
自分の見識、人生を賭けて、ひとつのものを消化していく。
そうでなければ、それはただの「発表会」になってしまう。
技術だけではダメ、そこに演者自身が重ならなければ唯一無二の作品にはならない。
これが結局のところ、一番地味で、辛く、でも、醍醐味なのだ。
昔。初めてお客さん(といっても友人だらけ)を呼んで、ライブをしたときのこと。
唄いながらわかったことがあった。
「なあああんにもないです、私」
まるで透明人間のように、自分にはなんにもない。
その「スケスケ感」に震えた。
ちょっとくらい歌上手いね、個性的だねなんていわれて「銀巴里」で唄いはじめて。
そうか、あたし、上手いんだ歌。なんて思い上がって。
なのに、一人だけでライブをしたら、わかったのだった。
私には、なああああんにもない、ってことが。
それから30年以上経って。
私はちゃんと唄っているのだろうか。
私の内側は、きちんと満たされているのだろうか。
歌丸さんの訃報に、いろんなことを思った。
そして、芸事の道に行き止まりはないこともわかった。