ワサブローさんのコンサートがあると知って、出かけた。


ワサブローさんはフランスに30年以上住み、歌を唄ってきた。


でも、あるとき、日本語で唄いたくなった。



そこで日本に帰ってきた。



ご縁ができてから何年たつだろう。


自由とエスプリ。


舞台でかるがる跳んではねるし、だだだとかけまわったり。



でも一転、静かな顔には、人生ってやつのおっきな姿が、立ち上がる。



なんてえステキな歌手なんだ。



ちょっと前に出された「俳句。椅子。」というCDでは、ライナーノーツを書かせていただいた。



自分の言葉ながら、ここでその中からちょっと引用を。



「つくづく自由の人だと思う。言葉は自由の物差しだ。どんどん息苦しくなるこの国で、ワサブローさんの歌は、私の背中にも羽が生えているかもしれないことを思い出させてくれる」




まったくこのとおりなのだ。



私、思い出しました、私ももっと自由でいいってこと。


そしてもっと強く柔らかくなっていいってこと。




ワサブローさんは、いつも挑戦する。



同じ曲でも、アプローチが変わる。


同じってことがない。



そうだった、そうだった、同じってことはないんだった。


なくていいんだった。




わかってはいても、めんどくさくなったり、おくびょうになったり。


だからいつも、同じ伴奏に。



それはそれで悪いことではないけど、もっと挑戦しなけりゃダメなんだな。



新しいことに挑んでいくことが、こりこりとかたまっていくココロを解き放つ。




ワサブローさんが与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」を唄った。



曲は、吉岡しげ美さん。


しげ美さんも、会場に来ていて、しばらくぶりの再会を喜び合った。




「これだよね。今こういう歌、こういう言葉が必要だよね」


「国防婦人の会みたいな女の大臣ばっかりだもんね、今」






ということで、しばらくしたらこの歌、唄います。




すっかり元気になった私は、友人たちと近くへ食事に。



ここでの話題は、もちろん介護、老後、健康。




「あ、また胸にソースこぼした」


「それ、老化のせいだよ」


「ぎええええ」



と、銀座の夜は更けたのでありました。