1970年(昭和45年) - 日本山岳会エベレスト登山隊がエベレスト登頂に日本人として初めて成功した日になります。

羽田空港を出発する日本山岳会エベレスト登山隊

1970年
日本山岳会エベレスト登山隊(総隊長・松方三郎、登攀隊長・大塚博美 以下39名)は2月15日に羽田を出発。
ネパールのラムサンゴからベースキャンプまでキャラバン隊は高所順応も兼ねて約1カ月かけて歩いた。
3月23日、ベースキャンプ(5350メートル)に入った。

東南稜ルートのリーダーとして指名されたのは松浦 輝夫(36歳)であった。
5年前ローツェ・シャール峰(標高8,383m)に挑戦し雪崩に遭遇しながらも当時の日本人最高到達高度である8,180mを記録した経験から抜擢された。
そしてもう一人、自己負担金が無かったため荷揚げルート工作要員として参加していた、植村直己(29歳)も抜群の体力などが認められ、第1次アタック隊に指名された。

エベレストにて、植村直己(左)と松浦輝夫(右)


1970年(昭和45年)
5月11日午前9時10分、日本山岳会エベレスト登山隊の松浦輝夫 
、植村直己両隊員が東南稜から登頂に成功した。

植村直己は、エベレストの頂上に達する直前で、先輩である松浦に道を譲り、松浦を先に頂上に立たせようとしたが、これに対して松浦は、植村と肩を組んで2人同時に頂上に立った 。
二人は頂上で涙を流しながら抱き合い、日の丸とネパール国旗を掲げた。
そして第1キャンプ(6100メートル)で心臓まひのため急死した成田潔思隊員(28歳)の遺品と写真を雪の中に埋めた。