1920年(大正9年) - 上野公園で第1回メーデーが開催された日になります。

第一回メーデー上野公園


「メーデー」とは本来「五月祭」を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきた。
この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習であった。
これが近代に入り現在の「メーデー」へと転化し、今日の「労働者の日」メーデーが誕生した。



日本では、1905年(明治38年)平民社の主催で開かれた茶話会がメーデーの先駆けと言われている。



翌年1906年に横浜曙会の吉田只次・村木源次郎・金子新太郎らがメーデーを記念し街頭演説を行った。


ロシア2月革命後の1917年5月7日に在京社会主義者約30人がメーデー記念の集いを開催した。


労働団体がメーデーを行ったのは、戦後恐慌時の1920年5月2日の日曜日に大日本労働総同盟友愛会が主催で上野公園で行われた『第1回のメーデー』が最初となる。

1万人弱の労働者が
「八時間労働制の実施」
「失業の防止」
「最低賃金法の制定」
などを訴えた。


翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。