1991年(平成3年) - 救急救命士法が公布された日になります。



かつては「救急隊員は医師で無いため、医療行為はできない」とする日本の法制度上の制限により、救急搬送時の医療行為が一切禁止されていた。
そのため、諸外国に比べて心肺停止患者の救命率や社会復帰率が極めて低かった。


当時の東京消防庁救急担当主幹であった武井勝徳は、目の前で苦しんでいる人間がいるのに、法律の壁によって手を差し伸べることができず、患者の周囲からは厳しい言葉で責められる現場救急隊員の実情を、雑誌『暮しの手帖』第3世紀13号【1988年4・5月】に、『なぜ外国で許されている救急処置が日本では許されないのか』として投稿した。

1989年(平成元年)武井勝徳は、日本医師会で「このままでは、大変なことになります」と訴えた。
それに共感した日本医科大学付属病院高度救命救急センターの医師・山本保博 准教授などが、法律が改正される日を鑑みて行動を起こした。
東京都内の救急隊員を集め、気管内挿管・点滴・電気ショックなどの指導を行った。

山本保博 氏


フジテレビの黒岩祐治(現・神奈川県知事)は、報道記者やディレクターの経験から、自身が特集を企画して取材や編集をした救急医療キャンペーン『救急医療にメス』を報道番組『FNNスーパータイム・週末』において、1989年(平成元年)1月から2年間放送して救急救命士の必要性を訴え、制度発足に先鞭をつけた。
黒岩が企画したこの放送は、第16回放送文化基金賞と日本民間放送連盟賞を受賞した。

黒岩祐治 氏


これらのことが世論を動かした。
1991年(平成3年)4月23日に救急救命士法が制定され、同年8月15日に施行された。



救急救命士になるには

救急隊員として経験を積むのが近道

救急救命士として活躍するためには救急救命士の国家試験とともに消防官採用試験の合格が欠かせない。そのルートは主に2通りある。
一つは、まず消防官として採用されてから国家試験を受験する方法。消防官として勤務しながら5年以上または2000時間以上の救急業務を経験し、さらに養成所で6か月以上の講習を受けることで受験資格が得られる。
もう一つは、養成課程のある大学や専門学校で所定の課程を修了し、国家試験に合格したのちに、各自治体の採用試験にパスする方法だ。
近年では、チーム医療の必要性が叫ばれており、救急医療に力を入れる病院で救急救命士の有資格者を募集することも多くなっている。

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