「人の心を分かっていない」避難計画の疑わしさ 原発の街は「津波警報」の元日、逃げる車で大渋滞した
●リンク先・・・【2024年6月8日/東京新聞/社会面】
「人の心を分かっていない」避難計画の疑わしさ 原発の街は「津波警報」の元日、逃げる車で大渋滞した:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/NGHgLtHoEw
— ハイパー有明 (@FJEzaWEIntOhpqB) June 8, 2024
今だから言えること・・・、それは<政府の理想論>への不信感、かな。
昼のブログでマイナ保険証について書いたが、実現されれば便利なものになるとは思われるも、その後ろに控えるものを見ていると、不信感の方が強くなるってものだ。
今回引用した記事も、その一つだ。
私が中学生の頃にも、すでに原子力発電の危険性を授業などで話される先生はいた。
もう四十年程前になるが、原子力政策に反対の方は、私の身の回りにもいた。
もちろん、そうした声は政府には届くはずもなく、政府は「原発は安全だ」として、原子力発電や原子力政策を推し進めてきた。
ところが、案の定と書くのは失礼なのかもしれないが、福島第一原子力発電所の事故を経験した。
それが影響したのはは定かではないが、国などは、「避難方法や経路灘を確認し、避難訓練も実施せよ」とする声をあげた。
いわゆる避難計画を策定せよという話だ。
しかも、それらの多くの作業は自治体に丸投げされる形で実施され、想定可能な範囲での作業が進められてはいる。
一応、原発の立地自治体や、隣接する自治体などは避難経路の策定などは行い、避難訓練も実施はしていた。
ただ、実際はとなると、避難に自動車を利用するものばかりで、周辺道路は渋滞が起きて動けない状況になった。
そうした問題を抱える中で、今年の元日に発生した能登半島地震では、地面の隆起や陥没などによって道路は寸断され、港に至っては海底の地形の変化で船が近づけなくなってしまったりもした。
そうした状況を受けての原子力行政の関係者の発言で、「避難が無理なら屋内避難で待て」だというのがあったが、倒壊しかけた家屋内や倒壊している家屋内の避難に疑問を感じるものとなった。
もちろん、理想論を繰り広げるのは構わないが、ちゃんと現実もみるべきではないかとも感じる。
今回引用した記事のように、原発事故の際の避難もそうだが、机上の空論だけで想定外なことが起きた場合を考えていないことなど、議論していないのはいかがなものなのだろうか。
最近でこそ使用されなくなっているが、<想定外>とのワードが政府はお気に入りのようであった。
そういえば済むとの考えがあったのか、考えの甘さを露呈させる結果となったことを恥じるべきだ。
もちろん、考えすぎるのもよくないのかもしれないが、だからと言って考えない理由にしていいはずもない。
世の中何が起きるかは、誰にもわかりはしない。
だからこそ、考えすぎるほどがちょうど良いのかもしれない、なんて五十代のオヤジはたまにそう思うことがある。