惟新伝心~四百年前の苦悩~ | 熊本城おもてなし武将隊武録ー百古不磨ー

熊本城おもてなし武将隊武録ー百古不磨ー

熊本城おもてなし武将隊公式ブログ

◎熊本城おもてなし武将隊スケジュール◎

場所/桜の馬場城彩苑 親水空間

スケジュール
11:30/熊本城おもてなし武将隊ステージ①
14:30~15:25/熊本城おもてなし武将隊ステージ②(演舞もしくは座談会、写真撮影、苑内回遊等)


皆の衆、四百年前から気苦労が絶えなかった男…島津義弘である。


{11AC006F-40E6-48C3-850A-1E606971D6B7}


島津義弘、福岡女学院大学に初見参‼


{4D1BBF9B-506D-4879-B417-1124763267CF}


素晴らしき舞台で演舞をさせてもろうた後は


{59FE75CF-EEDE-4EE8-8C5F-49F9C1A344ED}


以前に熊本城でお会いしたことがある山本博文殿と共に「九州大名と豊臣政権」と題した“とーくばとる”を展開!

山本殿といえば、島津家に関する論文や著書も多数あり、数多の歴史番組でもご活躍されておる御仁。

「島津家のことを知り尽くした」と言っても過言ではない山本殿と共に四百年前の話を語ることが叶ったのは、わしにとって感慨深いものであった。



四百年前、島津家は豊臣政権の傘下となり、わしが兄の義久公に代わって秀吉様からの御命令を受ける立場となった。



じゃが、それは表向きの話…。

実際は、薩摩のありとあらゆる決定権は兄上に有り、島津家の家臣達もわしの意見より兄上のお考えを重視した。

豊臣政権下で生き残るためには、秀吉様の御命令は絶対に厳守せねばならぬが、兄上は秀吉様とは可能な限り距離を置こうとされておった。



「秀吉様の期待に沿う働きが出来なければ、島津家は滅びる」


わしが如何に“島津家のために”との想いで働いても、兄上や家臣達にはなかなかこのことが理解してもらえぬ…。


関ヶ原の戦いの直前、わしは祈るような気持ちで兄上に援軍を要請する手紙を書き続けてきたが、結局わしが望むような人数を揃えることはできなかった。



わしが味方した西軍は戦に敗れ、島津家は徳川家を敵に回し、島津家の存続危機と相成った。



このときはわしも、西軍に味方したこと、ひいては今までわしが豊臣家に忠義を尽くそうとしてきたことすら間違っておったのかと思わされた…。



平成の世となった現代、島津の血脈は今でも続いておる。



此度のとーくばとるを通じて山本殿とお話することができたが、島津家が現代も続いておるのだから、四百年前のわしの苦悩は決して無駄でも、間違いでもなかったと、今ではそう思う。

此度の催しに集いし者達にも、少しでもわしの想いを知っていただければ幸いである。


{C4F34B32-715C-457F-8C1B-683434E7AAAA}


佐島先生をはじめ、多くの方のご助力のもとに素晴らしき催しを行えたこと、心から感謝を申し上げる。

準備を頑張ってくれた学生の皆もありがとう御座った‼


{097EFFFE-4ABB-4938-9074-ECFE22FFB4DA}


実は山本殿の著書を持参しておったわし。

光栄なことに、『島津兵庫頭(ひょうごのかみ)殿』と、わし宛てに花押(さいん)を書いてくださった‼

山本殿とお話できたこと、恐悦至極に御座った!また共闘できることを楽しみにしております‼



では本日はこれにて。
皆の衆、明日もよき一日に。


{A56F1CFC-7D2E-446A-A5A0-C9CA596CA2AF}


援軍に駆けつけし皆もありがとさんじゃった‼


島津義弘