高島市議会議員一般選挙および高島市長選挙の日が近づいてきた。令和3年の1月31日が投票日だ。

わたしは8年前の市議選に立候補して当選。一期4年間を務めて、市長選に立候補して、落選。

 

 

4年前の選挙期間はこんな大雪だった。雪で思うような選挙活動が出来なかったことは残念だった。

 

今回の市議選に出ないのか?と聞かれて「出ないと思いますよ」と答えると「もったいない…」とか「市議として一期務めた経験を生かして…」ありがたいお言葉を賜って、ありがたくうれしく思ったけれど。今回の市議選には出ないだろうけれど、誰かから担がれれば、その気になっていつか何かの選挙には出るかもしれない。けれど自分からすすんで立候補することはない。「よろしくお願いします。みなさまのお力でどうぞ議会へ押し上げてください」とは今は言えない。

 

政治や経済を考えるのは好きだし、人前で演説するのも好きだし、みんなのためになることに尽力することも喜んでやりたい…政治家にすごい向いてるとは自分で思う。けれど、田舎では市議というポジションが羨望の的というか… 「(相対的に)若い、女性」であることが議場以外の場でやりにくいことが多い。それは「気にするな」とか「そんなものに負けるな」という励ましではなんともならない。

 

わたし直接ではなくて、わたしの近くにいる人たち、友達や親類、「仲間」と思われた人たちに被害が及ぶので、ほんと大切な人たちに「迷惑がかかる」というのもおかしなことだけれど、この地域ではある。自分が傷つけられるより、自分の大事な友人を傷つけられる方がダメージが大きい…それを仕掛ける方も知っている。

 

一部の市民に利益を誘導するのではなく、広く高島市、市民のみなさま全体に利益があるようにと思って議案に反対をしても、一部の市民にうらまれることになる。「ありがとう」の声が聞きたいのではない、感謝を求めているのではない。けれど、うらまれたり、嫉妬されたり、憎まれたり…は違う。

 

 

まだまだわたしは、器がそこまで大きくないんだな と自分で思ってる。「うらまれても、いいことがしたいか?」「嫉妬されても、やりたいことか?」「大切な友人たちを傷つけられても、やりたいことか?」という自分の問いかけに、今のわたしはYESと答えることはできない。

 

人前で演説できたり、政治家に向いてるという資質は自覚しているし、今回の市議選に出れば当選の可能性もあるだろう。もし市議であればみなさまのお役にも大いに立てるだろう。しかしプライスレスのダメージを受けるであろう…おそれがある…それでもやりたいか?と言われると今はNOだ。

 

「気にしない」ができないし、「みんなのために頑張りたい」がまだまだ「自分のため」にはなってない。「みんなのため」と「自分のため」一致していないのだ。まだまだだ。みんなのために自分やまわりが犠牲になるようでは、みんなの中に自分やまわりが含まれていないので、ダメだと思ってる。

 

市議会議員や市長選挙を経験して、わたしの高島市への愛や志を行動によって示すことはできたと自分は思っているので、経験することができたことを決して後悔はしていない。知ることで、失ったものは大きい。でもそれを知れてよかった。

 

4年前の市長選を応援してくださった皆さまにはほんとうに申し訳ない…それしかありません。ほんとう申し訳ない、顔向けもできません。ほんとう応援してくださった皆さまは、悪いことしました。ご迷惑をかけました。ほんとう申し訳ない…その思いを4年間ずっと抱えていますし、今後もずっと抱き続けることです。決して忘れません。

応援してくださったみなさんにご恩返しができる機会をずっと伺っています。どのような形になるかはわからないけれど

 

 

 

 

12月15日の京都新聞朝刊 滋賀版

 

高島市議会は酷い有り様… さもありなんだろう…そういう世界…

それでいいのか?ということが高島市民全体に問われている。

 

 

 

 

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11月22日に高島市民会館で開かれた共産党の大会で、共産党ではない立場から共産党にエールをおくるということで3分間のスピーチを依頼されてお引き受けしました。スピーチの文章を掲載します。

 

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こんにちは くまがいももです

今日は共産党ではない立場から日本共産党の福井節子さん、森脇徹さん、粟津たいぞうさんにエールをおくるためにこの場に立たせて頂いております。

 

 

ここ高島という土地に限らず日本の地方は保守的です。令和の世においても「お上に逆らうとはなにごとか」と江戸時代のような言葉を聞きます。「上の人のいうことを聞くことが良いことで、反対することは悪いことだ」と信じている人が多いのです。

 

しかし、それでいいのでしょうか 

 

安曇川上流のごみ処理場建設計画、6月議会での一般質問 インターネット議会中継を見てわたしは涙が出る思いでした。ヤジに負けず福井節子さんはごみ処理場建設にかかる不透明な手続きを明らかにする質問をされました。その質問にまともに答えようともしない市役所執行部。

 

答えられない、答えたくない、真実を追求する質問をさせたくないから、ヤジが許されている。「ヤジなんて当たり前だ」とヤジを行った会派代表の言葉が京都新聞にのりました。全国の地方議会でヤジは当たり前ではありません。高島市議会の異常性を表しています。

 

今年の2月20日京都新聞に報道された昨年12月議会、議会事務局が ごみ処理場建設をめぐり原案通りに可決するよう圧力をかける内容の文書を議員に対して配布した事案も、議会の独立性をゆがめる異常さが現れています。

 

 

このような中で日本共産党高島市議団の奮闘ぶりは素晴らしくほんとうに尊敬 敬服しています。日本共産党高島市議団の働きと党派を超えた共闘があったからこそ、今、安曇川上流のごみ処理場建設はかろうじて「白紙」になっています。

 

安曇川上流の問題は高島市だけではなく滋賀県、琵琶湖、近畿の水瓶 京都や大阪に住む人たちにもかかわる大きな問題です。

 

ものごとに反対するということは、賛成することよりもずっとエネルギーのいることです。命を守るために、市民の生活を守るために覚悟があるからそ、反対をすることができるのです。

 

日本共産党高島市議団のみなさんは志も熱く人柄もあたたかいことは、ここにおられるみなさんも十分ご存知でしょうし、わたしも知っています。高島市議団が3席を取ることが大事なことです。高島市内にお住まいのお知り合いお友達にお伝えください。わたしも微力ながら心から応援しています。

 

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このようなチラシが12月25日の新聞折込に入りました。たかしま民報号外