乳がんの検査を受けました | フリーライター 熊谷あづさの雑記帳

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フリーライター熊谷あづさの日々の雑記や仕事風景、
観たもの・聴いたもの・読んだものなどを綴っています。
ねこの記事もちょくちょく登場する予定です。

こちらの記事に書いているように、
わたしは以前、左乳房に良性の腫瘍が見つかっておりまして
当時、診てもらっていた先生には
「経過観察のため、半年後にまた検査に来てください」

と言われていました。

それが、2016年の4月のことです。

「今度こそ、ちゃんと検査を受けるぞ」と思っていたのですが
その年の8月に結婚で転居したため、
以前、かかっていた病院が遠くなってしまい
半年後の検査にはなかなか行けず・・・

そろそろ行かなければと思いはじめたころに
14年も一緒に暮らした猫のマッシュが急死したり、
母親が手術を受けることになったり、
今度は猫のもんちゃんが病死したり、
父親が事故に遭って手術を受けたり、
猫のそらこが病死したり、
なんとなく慌ただしいことが多くて
検査を先延ばしにしていました。

とはいうものの、
友だちとごはんに行ったり、
ライブや映画に行ったり、
ベリーダンスの練習をしたり、
ひたすらゴロゴロしたりと、
自由に使える時間はたくさんありました。

検査に行かなかったのは、
わたしのものぐさで面倒くさがりな気質が原因です。

そんなわたしが「そろそろ検査に行かなければ」と焦ったきっかけは
そらこの死でした。


そらこの死因は大腸がんです。

実はそらこは、2012年の秋に左乳房に乳がんが見つかり
左側の乳房をすべて摘出する手術を受けています。

先のブログにもある通り、
わたしは2012年の夏に、
市の乳がん検診で要精検となりました。

結局、わたしの左乳房の腫瘍は良性とわかってホッとしたのですが
その直後にそらこの乳がんが見つかりました。

そらこはいつも、わたしのことを心配してくれていたので
「もしかして、そらこが身代わりになってくれたのでは」という思いが
ずっとありました。

そのそらこが亡くなり、しばらくたってから急に不安に駆られ
乳腺外科の専門医がいらっしゃる近くの病院を探しました。

わたしが見つけたのは、さいたま新都心にある
「新都心レディースクリニック」です。

ホームページで院長先生のプロフィールを拝見したところ、
乳がんのスペシャリスト的な経歴であることがわかり
2月の中旬に予約の電話を入れました。

なのですが、予約は4月までいっぱいとのことでした。

ただ、予約の合間を縫って
予約なしの患者さんの診療もしているとのことだったので
待ち時間が長くなることを覚悟して、診察を受けることにしました。

診察は8時40分からですが

受付は8時から開けていると聞き、8時20分ごろに到着しました。

これまでの経緯を簡単にまとめたものを持参し
問診票と一緒に提出しました。

割とすぐに検査着に着替えて最初に軽い問診を受け、
その後にマンモグラフィと院長先生によるエコー検査を受けました。

良性の腫瘍があるのは左乳房の左上のあたりなのですが
先生は左乳房の右下のほうに何度もエコーをあてていました。

不安になって、思わず
「なにかへんですか?」と尋ねたところ
先生は「うーん、へんと言えばへんなんだけどねえ」とおっしゃり
「針生検をしておきましょう」ということになりました。

自宅で自分で触ってみた限りでは
特にしこりには気づかなかったのに、
針生検をするくらいの腫瘍があるなんてと
頭が真っ白になってしまいました。


それだけに、先生の穏やかな口調や雰囲気にとても救われました。

 

朝イチで受付をしたせいか、思ったほどの待ち時間もなく

10時半前には病院を出ることができました。

一週間後に結果を聞きに行くことになったのですが
その時間が長かったです。

突然、不安に駆られて甘いお菓子をバクバク食べたり
かと思うと、食欲がまったくわかなかったりと
精神的に不安定で
そのせいか、毎晩のようにそらこが夢に出てきました。

夢のなかのそらこは、いつものように
わたしや夫のベッドの上で眠っていて
「そらこ、やっぱり生きてたんだねぇ」と声をかけると
「にゃぁ」と返事をしてくれました。


わたしのまわりには、乳がんを患ったものの
元気に過ごしている方が数名ほどいらっしゃいます。

乳がんは決して、怖い病気ではないと思いつつも
悪性だったときのことを考えて、
治療方法や紹介されるであろう病院の情報を調べたり
同じ市内に住む友人にその病院の評判を聞いたりしました。

さらに、もしも手遅れだったときのために
ホスピスがある病院の情報を探したりもしました。

以前、細胞診の結果を聞きに行ったときは
近くで暮らしている妹に付き添ってもらったのですが
今の家から妹の住まいは遠く、夫は仕事を休めないため
ひとりで行くことになりました。

頭が真っ白になっても大丈夫なように
取材で使うICレコーダーを持って行きました。

以前と同じくらいの時間に着き、
「最初に、録音させてくださいって言わなくちゃ」と
何度も自分に言い聞かせているうちに名前を呼ばれました。

診察室に座ってすぐに、先生はエコーの画像を見ながら
「繊維線種みたいだねぇ」とおっしゃいました。

事前にちょっとだけ調べていたので、
繊維線種は良性の腫瘍であることがわかりました。

なのですが、若干、混乱していたわたしは
「内容を忘れるといけないので、録音させてもらってもいいですか?」と
さっきまで練習していたセリフを口にしてしまいました。


「いいですけど、でも、説明の紙をあげますから大丈夫だと思いますよ」と
先生にやさしい口調でおっしゃっていただき、
ようやく少し気持ちが落ち着きました。

半年後に経過観察の検査を受けることになり
8月の予約を入れました。

その時点で、8月の予約もけっこう埋まっていることがわかり
院長先生を頼りにしている患者さんが、

たくさんいるのだなぁと実感しました。

お会計を済ませたのは、9時をまわったころでした。

外に出たら、体から余計な力が抜けていくような脱力感を覚えました。

近くのカフェでモーニングを食べながら

夫と田舎の家族に結果を報告し
それから、映画『アクアマン』を観て帰宅しました。

帰宅してすぐ、亡くなった猫たちにお線香をあげて
「なんともなかったよ。ありがとう」とお礼を言いました。

それ以来、そらこはあまり夢に出てくれません。

時々、微妙に体調を崩したり、精神的に不安定になったりするものの
わたしは、基本的には健康です。

 

それは当たり前のことだと思っていましたが

実はとても幸運なことなのだなぁと、あらためて気づかされました。

ここ最近、サボっている自治体の健診と婦人科検診も
受けないとなぁと思っています。