伝説のサーファー Surf Legend バテンス カルヒオカラニ SUPER COOL | くまがいくブログ

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バテンスになんか似てる!と言われた。
バテンス?ググってみた。。。とてもマッチョな黒人だった




サーフレジェンドって言われる、伝説のサーファー


”バテンス” モンゴメリーカルヒオカラニ Buttons Kaluhiokalani wiki
1958年3月30日生まれ アフリカ系アメリカ人の米軍の父親と、ハワイアンの母。黒人の強い癖っけだと、グリグリの髪の毛束が丸まる。親が Buttons ボタンというあだ名で呼ぶようになった。幼少の頃から、叔父のバディ(軍の獣医)にサーフィンを学ぶ。

1973年 全米選手権 
1974年 1位 プロクラス トライアル サンセット
1979年 1位 サンキスト オープン , パイプライン マスターズ 、マリブ プロ 
1982年 1位 日本
1984年 1位 ペルー

実績と。なぜ伝説と言われるのか。それは、360度ターンを初めてやった人で、波の上で、スケボーのように自由に動く現代のサーフスタイルを作った第一人者である。その後に続く、プロサーファーも憧れるマッチョボディをオヤジなっても保ち続けていた。

1998年 薬物犯罪で逮捕 
2005年 再度 逮捕された。テレビ番組で逮捕の現場を撮られた。

子供の頃からサーファーとして有名になり、パーティーに行き、有名人と遊ぶようになって、ズルズルと、未成年のころから タバコや酒、コカインやヘロイン等の薬に手を出すようになってしまって後悔している。
その後は、サーフィンスクールを始め、青少年の育成にも力を入れるようになる。
バテンスサーフスクール 



2013年11月2日 55歳 肺がんの合併症で他界  
【追悼特集】バテンス・カルヒオカラニ 良い記事だ!

彼のメッセージで、『人生を取り戻すための手伝いをしてくれないか』と一言いえば良いっとある。
本当にそう思う。正直に接しない時代に生きる人が心配だ。
困っているときは、助けが欲しいって、誰かに話したほうが良い。本当に困っていて、違法な事に関わってしまった時、何か中毒だとか、相談しにくいだろうけど、更正の壁になってしまう。言わなけえれば、なかなか知る事はできない。
過ちは誰にでもある、一人で悩まないで、助けを呼ぶ事が大事だ。否定的に考えてしまうだろうけど、更生する機会を早く見つけてあげたい。
でも寛容だろうか?そんな思いもあるだろうけど。誰か一人でも、正直に話せる人がいたら、見える世界は全部変わって、人生をやり直せる。


バテンスに憧れていた ロブマチャド 

ロブマチャドファウンデーション

習いたかった
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