ジェイムズ・ギャビン『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』 | kumac's Jazz

ジェイムズ・ギャビン『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』

 この本は、ある男の人生を、それと関わりを持った人々の証言により、力技で再構築したものである。主人公であるべき、その男はこの本に書かれていることが自分の人生だったと認めるか、認めないかについて、権限を有していない。もう、その男はこの世に存在していないから。だから、証言した人の思いで、男の人生は様々な色彩を帯びる。

 そして、どの証言者も共通して語るその男の人生は、ドラッグ中心だったということであり、今で言う典型的なドメスティック・バイオレンスを演じていたということである。この本は、チェット・ベイカーの人生は、薬と同伴者に対する暴力がすべてだったとさりげなく主張する。そのすべてを取り除くと、かろうじてボロボロになったトランペットが現れる。

 普通、偉大なジャズメンの評伝は、美しい音楽の影に隠れて見えない表現の秘密や苦しみを、解説書のように教えてくれる。しかし、この本『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』(河出書房新社刊)は、最初の15%で偉大なジャズの生まれる瞬間を書き、そのあとの75%はその音楽を使ってどうやってベイカーがドラッグを手に入れたかを、詳しく説明してくれる。分厚い本のほとんどが、ドラッグを手に入れるためのベイカーの苦労話である。

 しかし、不思議と退屈にならない本である。それは、訳者の鈴木玲子氏の功績が大きいと思う。この手の本にありがちな、記録することだけに重きを置いた、直訳した粗い翻訳の文章ではなく、とても読みやすいこなれた日本語となっている。それと、ベイカーが自分の身をズタズタに削っていったのにも関わらず、不思議と美しい音楽が生まれる瞬間があったということが書かれているので、ついその作品は何か知りたくなる誘惑に駆られるからだ。この時点で、自分もドラッグをやっているような錯覚に陥る。どっぷりとヤクに浸ったこの3週間であった。

 溺愛する母、内気なベイカー、作り上げられた反抗する青年のイメージ、人種差別、マリガンやゲッツとの確執、ウディ・ショーの晩年の生活、ミシェリーヌ・グレイエとの三角関係などなど、興味深い話も書かれている。

 チェット・ベイカーのある一面を知るには完璧な本である。



ジェイムズ・ギャビン, 鈴木 玲子

終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて