間人カニを堪能した後は、

兵庫県の香美町香住へ

レンタカーでウダウダ寄り道しながら向かいます

 

今回の旅行の目的は、

実はカニではありません

主人の誕生日のための

『豪華カニ食べ尽くしツアー』でもありません

 

実は香住にはある伝説が

伝わっていて

前から一度行ってみたいと

思っていました

 

香住神社

 

 

この裏山の月岡公園に7世紀の古墳があり

有間皇子墓ではないかと言われているのです

 

香住には有間の生存伝承が

残っていました

 

藤白坂で処刑された

有間皇子ですが、

実は家来が身代わりとなり

有間は密かに助けられ、

丹波に逃げてきます

 

しばらく隠れ住んでいましたが、弟皇子(と言われる)

表米王が但馬にいることを聞き

有間は丹波から船で但馬を目指しました

 

香住に上陸した有間は、

志馬比山(しまひやま)に住み

比佐という娘を妻に平和に過ごしたそうです

 

二人の間に男の子が生まれ、

志乃武(しのぶ)王と名付けられ

その子孫は篠部氏となって繁栄しました

 

これが香住に残る

有間皇子の伝説です

 

階段を登っていくと

香住神社本殿

祭神は 

天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)

大巳貴命(オオナムチノミコト)

少名彦命(スクナヒコノミコト)

香住彦命(カスミヒコノミコト)

この本殿の左手より裏へ回ると

 

 

有馬皇子夫婦塚があります

 

そばには三鈷の松が植えられていました

 

白い標柱が三鈷の松の標

(有間皇子の必需品→『松』がここにも)

 

 

わずか19歳で殺された有間を

惜しむ人が多かったのでしょう

有間皇子の伝説は栃木県にも残っています

 

 

有馬皇子塚の冬枯れの木々の間より、香住の海が見えます

冬の日本海とは思えない穏やかな海でした

 

妻と穏やかな日を過ごしたと、

伝説そのままの静かな処です

 

気になるのは、身代わりになった家来って誰???

イメージだと新田部米麻呂なのですが

 

身近く仕え、有間が白浜へ護送される時

付き添っていった舎人が

米麻呂さんでした

 

日本書紀には新田部米麻呂は「從駕」なりとありますので


皇子の世話役として

同行したのではないかと

思われます


 

皇子様一人では何もできないから・・・・・

椎の葉に飯を盛ってくれたのも米麻呂さんなのではないでしょうか?