「出来るよね。お願い」
いや、出来ないよ!
私はとにかく諦めが早い。だってそれは、力量もない技量もないことをやらせたがる人が多いから。
私だって、キャパ超えって絶対にできない。
真面目だと言われ辛うじて熟してきた仕事って、私の場合大抵は気持ちがギリギリ。なんとか出来たものが殆ど。
それでも熟していると、重責を上乗せして、次の仕事がやってくる。
それって、「無理だ!」って言ったところで、次々事案事案を提起されて、どんどん退路を狭めていく。
そんなことをされたら、絶対に「NO」が言えなくなる。それは完全に諦めになっていく。
それは”1対1”でも耐えられなくなる私は、それが”複数対1”の構図になれば、完全に墜ちざるを得ない。
でもそんな時思い出すのは、幼い頃の、小学生の頃の周りの子の事。
”複数対1”・・・まさに男子でもいじめをしている子と虐められている子の構図。とにかく恐怖に震え怯えたって構わない。ただ”弄っている”だけの側と、恐怖・不安な気持ちを表にした側。
人には得手不得手がある。不得手を強要されたら、様々な意味においての恐怖であり、恐怖心を増幅させる。
それでも、頑張ってやっている。そんな子だってたくさんいるのに。
それは、簡単に考えて出来る人を{100}とした時の{1}かもしれない。だけど、他人には見えないように、”努力”はしている。
出来た時点で、苦労した分の達成感を感じることもなく、次の重責を担うことだって、決して稀じゃない。
それが続けば、達成感より責任の重さに押しつぶされるんだよ。
見える形で疲労や不調の変化が出にくい時などは、余計に無理をする。もう限界を突破し、朦朧状態になっていたとしても。
RPG風に言えば、HPの回復が出来ないどころかMP・HPを削られているようなもの。
信用なんてしないし、信頼を帳消しにだってなる。そんな人に相談なんてしない。
そのうち、きっと無理が来る。