今からおよそ1000年前,奥州の悪党数百人が越後に攻め込んできた。
「ぎゃー!大変だ!あいつらはもうすぐコッチニやって来るぞ!女子(おなご)は皆、連れて行かれるぞ!すぐ山ん中に逃げれ!」
「そんげなことはどうでも良いすけ!早よ早よ逃げれ!」
人々の多くは家を捨て、山の中に逃げ込んだ。逃げ遅れた人たちは悪党に追い回され、抵抗した者は皆殺しにされた。
あっという間に越後の北部一帯を制圧した悪党は、奴隷狩りを始めた。働ける者は男女を問わず掻き集め、夜も昼もなくこき使った。人々の血と汗で城が築かれた。この五十公野の城が、悪党の越後支配の拠点となる。
悪党の大将は、黒鳥兵衛である。元は奥州の豪族・安倍貞任の重心だった。身長は2m50cmもある大男で、長い鉄棒や鉄の弓矢を軽々と使い、人々を虫けらの様に殺す、手の付けられない悪党だった。
黒鳥一味は蒲原平野を荒らしまわり、略奪を繰り返した。金菅澤城主の羽生田吉豊と弥彦の庄司・櫻井宗方は兵を集めて抵抗したが、黒鳥に歯が立たず、散々に打ちのめされ、出雲崎に逃げ込んだ。
悲劇は蒲原平野の周辺にも及んでいた。日本海沿いの間瀬では、豪族の一人娘が黒鳥一味に攫われる事件も起きた。
出雲崎の城主・山本泰氏は、羽生田・櫻井を迎え入れ、3人で相談したが、自分たちではとても手に負えないと考え、京都の朝廷に助けを求めることにした。
やがて、京の都から、北畠時定を対象とする1万の軍勢が助けにやってきて、国上山に陣を構えた。
それを見た黒鳥軍は、忽ち攻撃を仕掛けてきた。黒鳥の率いる悪党は強力で、北畠軍は秘密裏に打ち倒されてしまった。
北畠時定は{最早これまで!}と討死を覚悟し、羽生田・櫻井・山本の3人を呼び出した。
「自分が黒鳥に最後の決戦を挑み時間を稼いでおくから、お前たちは急いで佐渡に渡れ!実は佐渡にはすごい武将が居られるのだ。その御方に助けを求めなさい!」
それだけ言い残すと、北畠時定は、黒鳥軍目掛けて切り込んでいった。
3人は慌てて佐渡に渡った。