自然と心と

科学、宗教、哲学、芸術、4つは同じことを求めているのだとウスペンスキーは言っている。あとキーワードとしてはグルジェフ、キングクリムゾン、最近は非二元なんて言葉がはやっているんすか?


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1964年のイタリア フランス合作の、モノクロの新約聖書の映画で、1959年にアメリカでベンハーが作れらていることからすると、ずいぶんと作り方が違うなあと思う。

 

 イエス様の顔のアップがいろいろと変わりながら福音書のまんまに説教をする 出だしの

 ところは、そのまま聖書を読んでいる感じである。

 

   この映画を昨晩やっていて、今日、その録画を今見終わったところである。

   イエスは、繰り返し、形式とか格式とか、身分とか業績とかではなくて、

   ただ神を信じて幸せになりなさいと言う。34歳の青年イエスは、そればかり語って

   処刑され、彼を追ってエルサレムまで来た母は、処刑の現場にいて

   泣き崩れる。彼を処刑したのは、その当時のユダヤ教の偉い人たちであり、

   ユダヤ教の先生であることで、地位を築いていた人たちである。

 

 この映画のはじめのところで、ヘロデ王が乳飲み子の大量虐殺を行う。

 ヘロデは、自身の地位(家族と部下、縁者、国民の安定した生活、また傀儡政権を

 与えてくれたローマに対する立場上のこと、すべてふくめ)をおびやかされる可能性を

 完全に削除しておく必要があった。 手段を選ばなかったのは、彼の必死な抵抗を

 想像させる。

 

  こうして、イエスは、常に戦っている。何と戦っているのかというと、

生きた人間の心を不自由にする、地位とか差別のようなもの。イエスは、身分とか

家柄とかで、立派であったりなかったりすることがらが、嫌いなのだ。そういったものを

とっぱらったところにある裸の人間にしか、かれは興味がないのだった。

 

 そんなふうにスッキリ生きて 34で死ぬなんて、ずいぶんと

燃え尽きたなと思う。 そういう生命にあふれたみずみずしいところに

原始のキリスト教があるのだと思う。

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 手柄山遊園地のプールに行こうと思って準備したのだけれど、いろいろな理由で行けなくなって、姫路市民のこの歴史あるプールが今年でおしまいになるというのに、残念だ。孫をつれていこうと思ったのだ。それで、しかたなく、あんまり代わり映えのない日曜で、リバーシティ(イオンです)に行った。相変わらず、孫はフードコートの喧騒にいると、はしゃぐ。

 

  僕が、孫もちになっている、という状況になってはや一年で、超未熟児だったこの子は、もうすぐ歩いたりしゃべったりしそうで、最近 いろんな音声を発するようになった。あらために、子供の成長をみるのはなかなか面白いが、体力が若くないので、無理はきかない。

 

  最近、心はいつもおだやかではない。仕事上で、困った問題に突き当たっている。いつもそれが心を支配している。いわゆるいっちょ前にストレスだ。そういうことを、あんまり経験したことはなかったが、あるんだな、的なことを感じている。僕は、この研究所で、いろんなものを作ってきたが、なんとなくのカンで、これは作れる、と思えたものは、すべて実際に作れた。ところが、いまやっているやつは、このカンがさえてこない。 といっても、このカンはちょっと奇妙なカンで、最近ではいろいろなものの仕様書を書いて、発注するというそういう仕事が増え、前のように自分が設計するわけではなくなって、そのかわり、だいぶ大きな案件をやっている。その案件をやってくれている会社さんが、仕上げてこない。5か月も納期が過ぎている。そうして、まだメドがたたなくて、仕切りにFPGAの中身をさわっている。検出器画像がきたなくて、どうやら信号処理がうまくできてないように思える。

 

  孫、仕事、つらさ、そして秋もくる。冬ぐらいになったら、孫はしゃべっているかもしれない。

  そのころにこの仕事上のごたごたしたのが すっきりなおっていればなあ。

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毎年 夏にはサマーウォーズが放映されている。

子供も夏やすみで夜ふかして、夜の映画の番組をマンガにして視聴率もかせげましょう。

ネットの中の世界をメルヘンなアバターの

闊歩する2次元空間として象徴したシーンと、それとは対極的な田舎の旧家の盆に親戚が集うにぎやかな日本の夏が、絡み合って、最後にはいろんな端末を握った親戚一同が真剣にゲーマーになって戦っている。夏の戦い、サマーウォーズだ。

 

妻がこれが細田守で一番すきだというのだが、僕は やはり

時をかける少女だ。サマーウォーズでも親戚の女性の一人の声をあてていた

仲里依紗がほんとに少女のときに 細田の時をかける少女の声をあてている。時をかける少女は、

子供のころにタイムトラベラーという題でNHKの少年ドラマシリーズでやっていて、あれはけっこう

怖い感じの作品になっていたが、80年代の原田知世のは、乙女ちっくせりふまわしの不自然さが時代を経るごとにパロディに見えてくるのだけれど、時代がよかったせいか、あれが真の時をかける少女として僕らには刷り込まれてしまったところがある。細田守の描いた新解釈 ときをかける少女は、時代があたらしくなって、女子高生の態度が我こそ世界の中心といいたげな自己主張な感じになって、なんか女子の青春は楽しそうだ。

 

サマーウォーズのどこがいいのかと妻にきくと、田舎のでかい旧家に親戚が集まるのがなつかしい感じだそうで、そこになつかしさを感じるのも、妻の家がそれなりに旧家の寺で、やっぱり盆とか正月に親戚が集まって、ちょうどサマーウォーズのシーンのように宴会をやっている家庭だからだなと思ったのでした。主人公の少年は、僕の家は 父は単身赴任で、母も働いてて、こういうふうに親戚が集まったりするのって新鮮でうれしかったです、と旧家の主のお婆さん(声が富司純子です)に言うシーンがある。うちもそうです、と僕も言う。うちも、東京から田舎へふらりとやってきた教師の家で、まわりに親戚もいないもんで、なにか浮いたような正月や盆で、それがふつうと思っていました。

 

 そうこうするうちに、今日は、ご近所さんと夏の恒例のBBQをした。息子が六年生のときに、ここに越してきて、まわりに子供がいなかったのだけど、ちょうど息子が高3になって旅立っていったあとあたりから、近所の若夫婦が子連れで越してきたり、隣に子供が産まれたりと、いろいろあって、子供たちが異常に増殖し、今年もわいわいがやがやと、まるで子供会のように近所の子供が多くなった。今年はうちの孫も(おとなになった息子がさとがえりして)参加して、また増えて、さらに大家さんの娘さんが子ども3人つれれ里帰りで参加して、さらにわいわいしていて、最後にはお決まりの花火をたらふくやって終わった。」

 

 サマーウォーズのようににぎやかな夏で、毎年、いいことだと思う。

 

  

 

 

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  松見池という池だったと思うが、大学の広いキャンパスにそれはあって、たまに、そこらへんに腰かけてパンを買って昼飯にしていたと思う。4年になって研究室に入ってから、先輩たちと、そのほとりの道を通って、平塚線(そういう名前にの道ではなかっただろうか)を渡って、晩飯に行った。

 

  晩飯に行く道か、帰る道かのみちすがら、何人かで歩きながら、しきりに熱力学の話をしていたのを、時々思いだす。話は、なぜか宇宙全体のことにおよび、宇宙は振動しているとか、なんとかそういうことを、話しているうちに、どういうわけかわくわくし、エントロピーが増大する部分と、減少する部分がかわりばんこに現れて、そうやってエネルギーの流れが続いているのだ、といった(本当に宇宙論をやっている先生からすればあほなのだろうけれど)、少年から青年になって間なしの僕の頭の中で、そういう議論が何の益するところも得するところもないのに、面白すぎてその日々はどこか光に満ちている。研究室で生物の体の中で情報を担う分子の仕事をしていた。生命のない分子が、どうなれば生物になるのだろうかという不思議が常に心に中にあり、夢中でいろんな勉強をしていた。あれは、たぶん青春というのだ。

 

  そうこうしているうちに青春は光と影のように過ぎ去り、僕は老人になりかけながら、孫がすでにいるから、自動的に一足先に おじいさんと呼ばれる者になった。おじいさんになっても、体のどこか奥のほうに、あの時の熱力学談義が、くすぶっていて、田崎晴明 熱力学なんて本を、少し前に買って、相変わらずこの学問の奇妙さに魅せられている。歳をとって頭が悪くなり、勉強しても、覚えが悪く能率も悪く、愕然とするのだけれど、ぼつぼつと続けている。

 

  あと、ピーターアトキンスの万物を駆動する4つの法則という本も面白い。アトキンス先生は勉強が好きなのだろうなとつくづく思う。あと慶応の授業この先生も授業がおもしろくで勉強家だなと思う。この先生は東大医学部卒で物理の教授になっているという、なかなかすごすぎる。それでも本だけではまったく理解できないときには、関西弁のこれが効く。

 

  そんなわけで 老体にむちうって ユーチューブでたまに慶応にもぐりこんでみたりする。

  それにしても青春は二度とはかえらない。少年老い易く学成り難し と少年のころに聞いたときに

 意味がほんとうにはわかってなかった。 今はわかるけれど、実際 成りがたかったな

 ということを学んだ、に尽きる。つくづくあほだ。

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加速器のシャットダウン中で、メンテナンス期間で、かつ盆あけてすぐだと、休みを少し延長している人もいるので、総じて職場の研究所は人口密度が低い。開発中の検出器がうまく動いてくれないために、休みを早々に切り上げて職場に出てきた。盆休みは、盆休みらしく 故郷にいき、キリスト教信者の盆を過ごした。羽を伸ばしに故郷に帰ったというよりも、長年やってこなくて久しぶりにやらねばならなかったことをしてきたということであり、母が年老いて久しいこのところ、故郷とは母の様子をみるために、見舞うために、いくところになった。

 

  職場にもどって、手伝ってくれている若者が朝から作業に訪れた。補正のデータをとるために、ソフトを改修しなくてはならなくて、それをしばらくやっていた。ようやく昼頃できあがったが、かたや、休み前までに出てきたデータのまとめをしていた僕は、今までの測定方法では致命的な問題が起きることに、午前中に気が付いてしまい、若者に、どうやってこの局面を乗り越えようかと相談をしたりして、午前が過ぎた。

 

  午後から、部屋に何人かきて、若者が計測したデータをもとに検出器の線形成を50倍も伸ばすしかけの動作試験にかかった。そのあとも何人かきて、しばらくわいわいがやがややっている。シャットダウンは9月いっぱいまでで、また運転が始まると、こういう開発をがやがややってるフェーズではなくなるのだ。そんなこんなで、一日も過ぎて、やすみボケのリハビリが適当に過ぎた。

 

  最近、自分は何ができる人なのか、ということを時々考える。研究者は研究して、発表して、生きていく。養老孟司先生がPublish or perishと書いてあったのを思い出す。僕は、たいした論文は書けないまま、とりあえずは論博をもらえるしくみがあるうちにもらっとこうと思って、小品の論文をいくつか書いてまとめて、免許をもらった。ということで、審査をしてくれたPFの教授は、まずは免許をお渡しします。あとは独立した研究者として、ぞんぶんに進んでいかれたし。と言ってくれた。あれから8年たって、いくらかその後も論文を書いてみたけれど、どれも、自分のやったことをまとめて発表しておかねば、それは自分の手元だけの情報にすぎないとの義務感によるとの感が強く、なにかを発表したいという情熱よりは、「仕事」という色が濃い。けれど、そういうこともありかなと時々思う。僕というキャラではなく、成し遂げられ共有しておくべき内容に価値があるというのが、究極の仕事だと思っている。ゆえに、あくまでも、論文を書くことはつらい仕事、であってよいのだ、と僕は思っている。

 

 

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終戦の日が盆に重なってしまうという歴史を歩んだために

この組では盆のころに 戦争の悲惨な歴史を伝えるTV番組が放送されるようになり

盂蘭盆という仏教の理念に、歴史そのものが沿っているかのように

我が国が歩んだ道はなにか意味があるように思えてくる。

 

北朝鮮がこのところミサイルを打ち上げ続けている。

チョゴリを来てニュースを高らかに読んでいる女性の抑揚は

まるで祝詞のように将軍様を感情をこめて讃えている。

 

こないだ731部隊のことをTVでやっていた

エリート医師たちがその部隊を構成していた。やっていたことはホラーだった。

上からやっていいといわれたら、エリートでもインテリでも、「やる」だろう。

で、そこに僕がいたら「やらない」だろうか? 

 

グルジェフは戦争のことを集団狂気と言った。ISISは最近、ニュースで言わなくなったなと

思っていたら、勢力が縮小しているのだそうだ。ある個人的な経験から、人の狂気は

根がなく、長続きしないとも、思える。グルジェフは、不必要な熱狂は、性エネルギーの誤用だと言った。戦争には強姦略奪関係の犯罪がつきものだ。愚劣だ。そうして、条件が整えば集団狂気に陥ることが

いともたやすくできてしまう僕らはみな等しく 愚劣だ。

 

性エネルギーの誤用で、熱狂し、人を殺し、終われば いったいなんだった?といった

脱力とかトラウマにさいなまれるほど 馬鹿げていて、それでいて

それによって歴史が作られ 発展もし 破壊もし、考えれば考えるほど

全体 悲しい。

 

 

 

 

 

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村上春樹の風の歌を聴けが実家に置いてあった。短い本なので再読した。

過去に読んだというのがまるで真実ではなかったくらい、すっかり話を忘れている。

 

 この軽妙な語りの本を、春樹さんは最初の小説として書いたのだった。文章は限りなく滑らかに流れていく。ある書き方のトーンにはまってしまうと、どこか湧き出し口があるように、言葉が流れてくる、といったように、春樹さんの文章はなぜか自然に流れて読み手を不可思議な世界につれていく。その雰囲気はどことなくSF的な感じがするけれど、そこには特に空想科学小説が備えていなくてはならない材料などはなく、それでいて登場人物の全体的な、とぼけ具合が、星新一をほうふつとさせる、と個人的に僕は思える。

 

  風の歌を聴けの中で、春樹さんは文章を書くという行為において影響を受けたのが、デレクハートフィールドだという。このデレクさんの書くものが、幻想怪奇SFといったジャンルだということで、あながち星新一的なものを春樹さんに見たのもはずれではないと思う。

 

 ---- 文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。

 

    デレクはそう言ったと春樹さんが風の歌を聴けの中に書いている。僕は、デレクと春樹の書き方に学んでみたい。それは書きながら、世界と自分を見つめ、自然と湧き上がってくるなにものかを言葉にしていく行為だ(俳句のようだ)。無駄な行為のような気もするのだけれど、それではいったい、人生において計算づくで無駄がないという線にそって進んでゆくということに、何の意味があるんだい?


 

  

  

  

 

 

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13日 今日は 新宮の花火大会で、熊野川の巨大な河原で行われるこれの名物は、なんといっても、1kmある熊野川を横断してかかるナイアガラだ。ナイアガラをやる花火大会はたくさんあけれど、ここのはほかに類を見ないくらいでかい。スマホ撮りだと迫力は数パーセントも再現できない。

 

 

  今日、父が亡くなって34年、はじめて兄弟と母で集まって、カトリック教会でミサをしてもらった。

  神父は、私が小学生のころに主任司祭の留守中のサポートで半年きていた青年ジョー神父で、その青年が老人になって、新宮の主任司祭となっている。ミサが終わって、神父と食事をし花火を見に行った。母は、子供らが集まって父のミサをすることを長年願っていたが、その機会を得ぬまま時は34年流れた。キリスト教には何回忌といった決め事はない。もはや天国に行っているのだから、と考える。神父さんもあとで食事しながらそれを言い、キリスト教のそういうところは自分はすきだと思った。

 

  特別にやってもらう短いミサは、普通は説教はないのだけれど、ジョー神父は、今日読まれた福音から、熱のこもった説教をした。今日読んだ福音は、嵐の湖の漁船で、弟子たちが難破しそうになってうろたえるというあの部分だ。イエスは水を歩いて彼らのもとにきて嵐を沈める。この話は、人生においてあらわれる、自分ではどしようもないできごとの中でも、かならずキリストの救いがあるというメッセージで、あなたがたのお父さんが亡くなった時、まだ若かった母が、これからどうやって4人の子供を育てていけばいいのかという嵐に出会い、そのあと34年の時を生き抜くなかにキリストは居たということを、神父は熱心に語ってくれた。

 

  明日 兵庫に帰る。また母を一人ここに置いていかねばなない。連れて行きたいけれど、来ない、と神父に言うと、お母さんのその気持ちわかります、と花火に向かって歩きながら言った。

 

 

 

 

  

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おととい、リングを放映していた。なつかしく、見させてもらった。松嶋菜々子も、真田広之も若かった。

 

 

  リング は おそらく僕らの世代が、子供のころに流行った

 

  不幸の手紙

 

 という永遠につっぱしっていく社会現象にヒントを得ている。この手紙をもらった人は、何日以内に、何人の人にこれを同じ内容の手紙を出さないと死ぬ。てやつである。当時の我が国は、これを不幸の手紙と呼び、ちょっとした社会問題であった。それを最初に出した人は確実に存在するのだが、やがてそれは独り歩きして、単なる思い付きで始まったことが大騒ぎを引き起こす。

 

  というそのままのプロットを1990年代に小説に書き起こしたものがリングであり、作品の中では、不幸の手紙のように 愉快犯ではなくて、このビデオ誰かに見せないと本当に死ぬということで、話は展開し、最後には貞子という、新しいホラーのスターが登場する。(もはや 怪談の世界は貞子以前、貞子以後で区分されている感じが僕はします。)

 

  しかし自分の命は短くて、何のためとかいっているうちに終わるんで、 とりあえず子孫とかいうのを残してあんたは死ぬんですよ、っていう当たり前のことを、そのまま攻め立てれれているのが人間とか生物の現実なのであって、 リングの貞子さんは その だらんと のびきった何十年かの人生の時間を一週間とかに凝縮させる一つの衝撃なのだ。

 

  そういう意味では、最初から 人はリングの上にいる。

  そういう意味でリングは生物学を思わせる。そして生物学は熱力学を思わせる。熱力学は、エントロピーという、一つの方向にしか向かえない宿命に制限された刹那の存在=生物を思わせる。

 

  生物は熱力学だから、どんどん崩壊して腐って死んでいく定めだ。ところが矛盾するように、人間は賢いから、掃除して仕事して、建築して、田んぼつくって、書物書いて、その死へ向かって一直線している生の中で、なにかをしようとする。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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  随分と長く書かなかった、というか書けなかった。というのは、エネルギーと時間を、孫の面倒を見るのに費やしていた。

 

  暮れから いま、までの期間に、余裕、のようなものがありえなかった。50を過ぎてから、赤ん坊をもう一回育てることになり、20年以上前に生まれ育て上げた子のところに生まれた孫を、こちらに引き取ることになり、それが昨年の12月で、今に至る。

 

  半年怒涛のようにすぎて、やっと、つかまり立ちをするほどに成長した、その孫とともに、今年の盆がくる。この子は、引き継いでいるのだ。20年以上前に、31歳でこの世を去った、この子の祖母の血を。それがいまだに、生きて、そのDNAの情報を4分の1だけ受け継いだ。遺伝子の半保存的複製とかいって、生物で習ったあのとおりの数学で。 4分の1の人間が、4半世紀ほどの時を経て再生されたように、どこかしら面影がある。

 

  そんなふうに、月日が過ぎ、長く時間をもってかれて、こんなところに、誰が読むでもない文章をやっとのことで書く。凡人の出来事のなかに、時間とエネルギーが割かれ、どうしようもなく能率の悪くなった生活の中で、とりあえず出勤し、仕事をするわけであるが、それもまずいぶんと能率を割かれ、パフォーマンスが下がり、若い夫婦は大変だなあと、そんなことを思いやりながら、まったく困ったもんだと思いながらも、成長していく赤ちゃんはかわいいから、癒されて、なんでもかんでも受け入れるほかない。

  

  五月の連休に、母が来た。母とはこの子の曾祖母であり、4代の世代を経て、ここに人がいた。たつのの、借家に、曾祖母と、祖父母と、孫と、ひ孫である。母は、曾孫を抱いて、

 

   とんとんとん ゆかりちゃん

   とんとんとん ゆかりちゃん

 

と背中をたたきながら、

 

   ぶんぶんぶん はちがとぶ

 

のメロディーで歌って この子を寝付かせるのに成功したとき

 

  わかった! 三拍子や。

  この子は 三拍子で寝るんや!

 

と感動して言ったが、この曲は四拍子だった。 とんとんとんと3回背中をたたいたら

一回休符があるのだ。

 

 

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