日本現代史の民話集 | 気になる映画とドラマノート

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この動画は非常におもしろいことに、「脱原発」「TPP」「改憲反対」が、まったく当然のごとくに、三点セットで、同じ意見になるはずだ、と信じられている人々の集会である。

 さらに呆れるのは、作家の高橋源一郎は、「従軍慰安婦強制連行と日本の罪業」を認める事の賛同と、「脱原発」の賛同がつながっている、と主張されているのだ。

 ここで、高橋源一郎は、従軍慰安婦の強制連行は、示すべき証拠がないにしても、「民話のかたち」で語り伝えられてきたのです、文学には、「樹軍慰安婦に関する民話であふれている、と言っている。

 どうしたわけか、高橋源一郎は、ウソをついている。
 戦後文学に、従軍慰安婦強制連行を描いた小説は、現実には、存在しない。

 まったくもって不可解なことに、高橋源一郎は、戦後文学には、従軍慰安婦に関する「物語」が、多数あって、これを読んでいない人と、記憶していない者との断絶が生じている、と言っている。・・・まったくのウソである。そういう小説は、「戦後文学」には、実際には、無い。

 しかし、世界に語り伝えられている「民話」は、次のようなものである。

グレンデール市の慰安婦像の女の子は靴を履いていない。

なぜ履いていなのかについて、次のように書いている。

「わたしは、日本軍の性奴隷でした。乱れた髪型は、この少女が大日本帝国によって、住んでいた家から拉致されたことを象徴しています。
 むき出しの不安定な足は、薄情で思いやりが無いこの世界に少女が見捨てられたことを表しています。」

 つい数年前、韓国MBC放送は、韓国から先進各国に向けて、10万人以上の売春女性がわたっており、各国で顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

 これをどう解決すべきか、韓国政府は苦慮しています、とすまし顔のキャスターが、よみあげていたことがある。慰安婦像が表している裸足の少女とは、実は、飢えた北朝鮮の少女、韓国から、諸外国へ風俗産業で働かざるを得ないように追い込まれた韓国女性の哀しい姿の表象ではないのか。

 また、国連人権委員会の「女性に対する暴力に関する特別報告者」のスリランカ人のクマラスワミ女史の報告した「クマラスワミ報告」には、次のように書かれている。

 これまた、ウソの民話である。
 「日本の中隊長ヤマモトは、この少女(証言当時74歳の北朝鮮女性チョン・オクスンが目撃したとされる少女)を剣で打つように命じました。彼らは、わたしたちの見ている前で、少女の衣類を剥いで、釘の出た板の上を転ばしました。そして、釘は血だらけになりました。

 最後に彼らは少女の首を剣で切り落としました。

 「お前たちみんを殺すのは、犬を殺すより簡単だ。(※日本には、犬を殺す習慣は存在しないが、朝鮮には、犬を殺して食べる習慣は、特に貧しい時代において普通にあった。つまり、この証言者は、日本人も犬を殺すことは珍しくないはずと思い込んで、「犬を殺すより簡単」という「言い回し」を日本人もすると思い込んで作っているっことがわかる。)

 と言いました。

 「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないと言って泣いているから、(いま、釘板をころがされて、首を切られて死んだこの女の人肉を煮て食べさてやれ」と言いました。

 ・・・これがクマラスワミ報告である。

 まともな神経の日本人が聞けば、まさか、馬鹿げたウソ話ではないか・本気か?とすぐに思うが、日本の正確な位置も、中国も韓国も、日本も、じつのところ区别のつかない(そういう人も世界にはいる。先日、日本人旅行者に、ニーハオ、と言っていたアフリカのどこかの国の人がいた。)外国人には、日本も昔は、そのくらい野蛮だったのか、と思わない理由がない。

 高橋源一郎が言う戦後文学がつたえてきた戦中の日本軍の加害事実とは、戦後文学のどの作品に書かれているのか、わたしには、いまだにさっぱりわからないのである。