田中英光の悲劇 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

 田中英光は、なぜ文学創作の意欲は破綻し、読者の側からも、どうしようもないものしか書けなくなって、生活それ自体も破綻して、薬物中毒から自殺へと追い込まれたのだろうか。

 これじゃあ、ダメだろう。そうなるだろう、と思えるひとつの重要な特徴が田中英光の発想にあった。

 田中は、初期作品の「鮮童三題」の最後に、朝鮮人のこどもたちについて、「時代の英雄にあこがれる気持ちに嘘はあるまいと思われた」と書いている。

 これは、田中が、勝手にそう思っているのであって、実は田中自身の性根の投影であるといっていい。

 田中英光という「人間は、社会の何を廃止し、何を買えるか、また、何を付加したいか、という具体的な構想よりも、自分が英雄になりたいという欲望を抑えきれず、その欲望とまったく矛盾する索漠たる勤め人生活に耐えがたい思いを持ち続けて生きていた。

  田中英光の私小説が悲壮感をもって、切実に本音を語りはじめるとき、かならず、「文学で身を立てたい」という言葉がでてくる。

 何を書きたい、とか、どんな方法論の小説を書きたいといった、作法や思想上の関心ではなく、田中英光の本音の関心は、「作家という地位」にあった。おそらく、まさか、田中がそこまで愚かな考えの人間だとは、太宰治も気がつかなかったろう。

 田中は、このことのおかしさがわからなかったとみえて、「文学者になりたい」という気持ちを複数の小説に、繰り返し、書いている。

 いったい、本気で書いているのかね、と思うようなことではないか、これは。

 田中英光の代表作は34歳頃に、23歳の時代を書いた「愛と青春と生活」というまるで「愛と青春の旅立ち」「愛と喝采の日々」のようなベタな題名の純文学小説である。

 田中の作品で一番いいのは、「酔いどれ船」というのは、日本共産等の仲間内にしか通用しない見方で、田中が創作歴のなかで、かなりな達成を示したと、と文芸上の価値ひとつで言いうるのは、この「愛と青春と生活」だと思える。

 この中で、そのころの私(23歳)は、「女にも名誉にも酒にも神がひそんでいるように思われた。」と書いている。一見、無頼派の書きそうな文だが、坂口安吾も、織田作之助も、太宰治も、「名誉に神がすんでいる」とは、書かなかったし、他のどんな作家も、こういう発想を見出すことは、実は難しいのである。それは、田中には、わからないらしいところが、田中の個性だった。

 「いい小説を書いて時代につくしたい思いもあったが」と書いている。

 これこそ、「鮮童三題」の最後に、朝鮮人のこどもたちについて、「時代の英雄にあこがれる気持ちに嘘はあるまいと思われた」という一節が、自分の心情の投影でもあることを示している。

 小説を書く事が、時代につくすことだという発想はめずらしい。

 しかも、それが、政府の思想弾圧で、むずかしいとわかると、「デカダンな小説を書きたい」と思った、というのだから、これはこれで驚く。デカダンというのは、他者の評価するもので、自分で、「デカダン文学を書きたい」というのは、おかしいということがわからなかったようなのだ。

 わたしは、田中がこれを皮肉で、書いているのかな、と思ったが、真剣に書いている。

 「わたしの一生の願いはひとを感動させひとを生の方向にふるい立たせるようないい小説を書きたいことだった。」とも、書いている。

 これも、一見、もっともらしいが、よく考えると、かなり奇妙な作品観で、古今の優れた作家のひとりも、こんなことを思って書いた人はいまい。

 村上春樹が、三島由紀夫が、太宰治や漱石が、 「わたしの一生の願いはひとを感動させひとを生の方向にふるい立たせるようないい小説を書きたいことだった。」なんて、少しでも思うわけがない。

 文学はそういうものではない。

 「(そのときのわたしの欲望とは、「偉くなりたい」ということだった、と書いており、それは間違いだったとは書いていない。戦後、田中英光は、日本共産沼津支部の支部長になるが、共産主義思想文学とともに、共産党の活動家のリーダーにもなっている。

 偉くなりたかったのだろう。

 田中英光の23歳の頃についていた職業は、ゴム製品の販売・セールスで、呆れたことに、田中は、この職業、販売・セールスは、「肥溜めのような(つまりトイレの下水槽の中)生活」だと言っている。

 その理由は、欲しい人は、必要なら、生産者からじかに受け取れば、いいのに、そうじゃないから、マージンが増える、という批判を基礎に、酒をもませたり、賄賂を送って買わせるのは、精神的殺人だ、などと言っている。田中は、経済的な分業の意味が理解できない低脳なところがあった。

 そして、八重という純朴な女性を口説いて、しばらくすると、性的魅力の強い酒場の女、梨恵に出会うと、可あれは、八重に対して次のように、「正直に言って、別れを切り出そうか、と悩む。

 「いまのわたしにとって一番大切なものは、文学で、それは私自身よりも大切なものだ。それで私は、自分の文学のために、束縛されない自分の欲するままの生活をしてゆきたい。」と。

 小説を書く事にとって、束縛されない生活が必要だと信じられている。

 田中は、太宰治に心酔していて、最後には太宰の墓の前で、自殺するのだが、坂口安吾も、織田作之助も、太宰治も、「文学」が大切という発想はなかった。あくまでも、自分の考えの独特性の発露の結果なのであって、「文学」それ自体が大切なわけではない。

 「私はその頃東京のD(太宰治のこと)から送られてきた手紙を暁子に見せ、狂的なまでの文学への憧憬を暁子に語ったこともあった。そんな時、暁子はあたしも文学は大好き、だから小さい時から小説家のお嫁さんになりたいと思っていた。スリルをもっていない男なんておもしろくない。」と言ったと書いている。

 田中(私)の言い草の馬鹿げているのもそうだが、もし、現代なら、文学は大好き、だから小さい時から小説家のお嫁さんになりたいと思っていた。スリルをもっていない男なんておもしろくない。なんていうセリフがありうるだろうか?

 フィクションのセリフでも、現実にも、こんなことを言ったら、頭がおかしいということになる。

 しかし、戦後まもなく、田中英光は、おおまじめにこういう場面を書いている。

 こういう馬鹿げた観念の書かれている「愛と青春と生活」とは、実はかなり出来のいい作品で、珠玉の場面が含まれている。

 その次に書かれた「酔いどれ船」は、共産主義の政治思想小説で、どうしようもない代物なのだが、ここでも、田中は、「文学それ自体への憧れ」を繰り返し、書いている。(このはしにも、棒にもかからないダメ」作品のほうが、共産党系の文芸愛好家には、評判がいいらしい)

 「このごろの日本では、名声が権力とだけ結びついているのだから、たまらんのですね。けれども、僕だって、こどもの時から、名声に憧れ、文学にしがみついてきたからなぁ」と、作者と重なる人物の「坂本」に言わせている。

 「酔いどれ船」で、田中が政治小説めいた方法論で書いているんだな、と思われる部分は、次のような場面だ。

 「いつか二人は、明治時代の好色な政治家伊藤博文を祭った、博文寺のすぐ下の、奨忠壇の池のほとりに出ていった。」

 「日本の巡査ほどやきもちやきはない。彼らにつかまったら最後、たちまち、警察に連れてゆかれ、ののしられ、殴られ、別々に尋問され、まごまごすると、陰部まで、彼らに見せねばならぬ。なんというつまらない国だろう。文学の育たぬのも無理はない、享吉はむやみに悲しい。」

 資本主義国日本をどうでも、否定することが、文学的によい表現だとカン違いして、さらに、なにやら、文学者の天才、トルストイやドストエフスキーのような大物の作家があらわれないのも、この国がダメだからだというような、(ちなみ、トルストイも、ドストエフスキーも、革命前に生きた)妙な嘆きかたをしている。


 ところで、11月2日の韓国中央日報を読むと、日本は慰安婦強制連行を認めて謝罪すれば、世界から尊敬される国になる、と言った。

 しかし、これまた、本末転倒の考えで、韓国というのは、「尊敬される国」になりたいらしいのだが、日本は、いまだかつて、「尊敬されること」それ自体を目的にしたことは、いまだかつてかんがえた形跡はない。

 いつだったか、わたしは、新聞の投稿記事に、「一旗あげたくて、共産党に入党した」という文言を読んで、本当にあきれたことがある。田中英光の文学も、まず、一旗あげたい、人生に何か、意味を見出したい、というまず、その願望が先にあった。

 これは、芥川が、晩年、「文芸的なあまりに文芸的な」で、コミニュズムやアナキズムの作品を小説に書くことは、そんなに難しくはない。問題は、そこに詩的荘厳を感じさせる魂が通うかどうかだという指摘を田中英光が、まったく、理解できなかった悲哀がそこにある。

 また、人は本当に興味を感じたことでなければ、まともに、熱意をこめて、考えかんがえ、書いていくことができないのであり、田中英光が、自死のs直前に書いた政治小説が結局、日本民族の残虐性と軽薄性を生の説明と強調の繰り返しをしたために、芸能週刊誌のゴシップの文体になってしまったから、田中には、創作家としての先が見えなくなったのである。

 田中のように、立身出世と文学をむすびつけて考えるならば、太宰治を師としたこと自体がもう、間違いで、本来、時代を超えて残るものは、政治思想も美術も、文芸も、「生きている時点での名誉」とは無縁とかんがえるのが、正しいことは自明だ。

 ゴッホも、ドストエフスキーも、決して人気を博したわけではない。
 社会に貢献した篤実な人物で世に知られていない人も無数にいる。

 パスカルは、最も偉大な人間の行為は、基本的に、誰にも知られていないという意味の事を言った。田中英光のえらくなりたい夢は、あまりにもせこくて、哀しすぎる。