幕末の日本 | 気になる映画とドラマノート

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きつね馬  司馬遼太郎 文春文庫 酔って候所収

 


 

154ページ

 

 斉彬はさらに、城下に西洋式紡績工場をつくったほか、反射炉二基、溶鉱炉一基、紅硝子精錬罐四基、水晶ガラス用一基、板ガラス用一基鉛ガラス用数基、鉄工所一棟などを作り、電信電話設備まで作った。

 


 

 さらに斉彬は、平素、江戸渋谷の別邸に中国大陸の屏風を置き、「清國はいずれ、ヨーロッパの列強に奪られるであろう。 されば日本の領土も危ない、いま日本の自衛策としては、積極策しかない。自分に私見がある。近畿と中国(広島県、岡山県のこと)の諸藩は、支那本土に進駐し、九州諸藩は安南コーチンに進み、奥州諸藩は、日本海から満州に入り、支那大陸を包囲しつつ北京政府を助け欧米列強のつけいるすきをなからしめねばならぬ。」

 


 

 わたしは、この部分を読むまでは、満州を重視する発想は、石原莞爾の発案かと思っていた。しかし、この斉彬の考えが事実だとすると、日本が侵略の意図を持って支那大陸に常駐していたわけではなく、また、大東亜会議で、西洋列強からのアジア解放を掲げた発想の原点が、島津斉彬の時代把握にすでにその原型が現れていたことがわかった。

 


 

 また、後に戦後日本のマルクス主義学派が、アメリカの対日非難を援用しつつ、「軍国主義」とした「富国強兵」の動機がどのようなものであったかが、次のように語られている。

 


 

 160ページ。コレラに罹患した瀕死の床で島津斉彬が遺言したとされる言葉。

 

「米国来航以来、幕府は外国に対する措置を失い、(中略)天下の人心を失い、」

 

「自分は一諸侯の身ながら、皇室を補翼し奉り、幕政を改革し、海防を厳にし、軍備を充実し、殖産を進め、もって富国強兵をはかり、日本国の威を四海に輝かさんとしたのであるが」

 


 

 日本国の威を四海に輝かさん、と言う部分は西洋に伍して、西洋のいいようにはされないという意味であろう。問題は、幕府が外国に対する対処について、確固たる方針を持たない状況が、そのまま手をこまねいていれば、やがて、日本も清國と同じように、西洋列強にくいあらされるという危機感がここに横溢している。だからこその産業の振興であり、富国強兵であって、それは、まず西洋が清國、や東南アジアに武力を持って、進出している状況がまずあったからであり、わが日本もまた、あの西洋のごとく、アジアにうって出ようと言っているわけではない。

 


 

 斉彬のこの構想は、斉彬の病死によって、(斉彬の父齊興の無理解によって、すべて御破算、廃止になる。

 


 

 司馬遼太郎は、日清戦争、日露戦争までは肯定的に見ており、日中戦争、日米戦争は否定的に見ていると言われている。しかし、今のところ、(というのは、司馬のこの点に関する論点を実際には、わたしは未読なので)仮に、司馬が、日露戦争までしか肯定していないにしても、この島津斉彬の考えた西洋列強の日本に対する圧迫は、日露戦争以後もまったく基本的構造としては、変わらないのだから、日露戦争以後の日本が、果たして、そうそう、暴走というほど否定的のものだったか、急に軍国主義という事になるかどうか、甚だ疑問なのである。

 


 

この本の解説を描いている芳賀徹によると、芳賀の先輩歴史学者(その人物はマルクス主義系の歴史家だった)は、徳富蘇峰について、あれは「反動」だと言ったという。

 


 

 「反動」という言葉自体、人類の社会が遅れた制度から現代は進歩しており、未来はさらに進歩発展するが、その進歩発展に当代に生きる知識人として進歩に寄与するか、押し止める役割を果たすかの二種の態度があって、後者が「反動」と否定的に評価される。つまり、人類の政治社会史が「遅れ」から「進歩」に矢印を備えつつ進行しているという観念を前提にしている。


 わたしも、高校生の頃は、そう思っていた。

 自然に、時代の趨勢によって、豊かになれば、自然に「平均教養は高くなるだろう」と。だが、まったく、そんなことはない。

  愚鈍の比率は、事実として、むしろ、悪くなるかもしれないし、一時的に良くなる時代もある。まるで、必然性などない。職人気質の衰退、たばこのポイ捨ての多さを見てもわかるし、どだい、現代人で、日本人なら、平家物語、万葉集を通読した人は、極めて少なく、アメリカ人に聖書、シェイクスピアを通読している人も少ないだろう。スマホを見る時間が多くて大変なのだ。


 

 北朝鮮を脱北した主体思想の創始者といわれるファン・ジャンヨプは、脱北以後に書いた手記に、人類の進歩に寄与する生き方をすることによって、生きがいがえられるというこの「進歩主義の勘違い」をなお確信を持って書いていた。


 また、保守派を自認しているらしい曽野綾子は、読み、書きの衰退した日本人は、内部崩壊が進んでいると、書いたが、まるで、一ヶ月に一冊の文芸雑誌も読まず、書く機会も、書く能力もない日本に多数いる職業人、主婦の人生のトータルの価値とインテリのトータルの価値に何の優劣の根拠もない。

 


 

 「反動」も「進歩的」も本当はありはしない。当たり前である。チンギス・ハン、アリストテレス、プラトン、西郷隆盛、などの昔の人と現代の人物が会ったとして、スケールも教養も、どちらが人間として優越しているかあまりにも明らかだ。社会発展に貢献もなにも、そんな評価を誰ができるわけもない。カンボジアのポルポトも、北朝鮮のファン・ジャンヨプも、レーニン・スターリン、毛沢東も、主観では、歴史に貢献した立派な生き方のつもりだったろうが、実際には、なんの意義もない、偉くもない、端迷惑なことしかしなかったといっても過言ではない。かれは、「反動」で、われは「進歩」側だという判定基準は本当は存在しないのである。