関東大地震 3 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

 韓国ドラマを多数見ていると、韓国人が李氏朝鮮王朝に対して、極めて複雑な愛憎半ばする感情を持っていることがわかる。それはけっして、単純に敬愛する王家を日本に消されてしまって、残念無念ということひとつに収まらないのだということがよくわかる。

 ある意味、非常に嫌悪している部分もありながら、「ロイヤル・ファミリー」的なものへの憧れも根強い。

 そのふたつの感情は、韓国ドラマにいやというほど、反復される。

 典型的なのは、韓国で、視聴率50%に近い驚異的な人気を博し、ミュージカルや演劇化もされている韓国では、知らぬ者はまずいない「女人天下」の中の非常に印象深いセリフが、「この国は李氏の国」であり、「趙氏にのっとられるかもしれない」というセリフである。これは、いかにも、感銘深いセリフで、韓国人も、日本人、その他外国人
が見れば、そうか、李氏王朝とは、一氏族の私有物という意識だったのか、という納得するものを感じるように、わざわざ、朝鮮王朝は、一豪族が国を「私物化」していたことが批判的に誇張というか、あからさまに強調される。

 少なくともこの類の、李氏王朝についても、高麗についても、王の側室問題に関して、王様がいかに好色で嫌な性格かということをこれでもかと露骨に描く場合があるかと思えば、「差別のない世の中を夢見ている」などと王子が突然このうえもない好人物として描かれたり落差が激しい。そして、幼児期の重い病気で身障になった女性の顔面麻痺した状態を女優がリアルに演じ、かつ、そうした身体に不自由を抱える女性を侮蔑場面が、人間の悪の深淵を描いたとでも大真面目に主張するドラマは、わたしには、常軌を逸した演出のように思えたが、そのドラマがドラマ大賞を受賞したりした。

話を戻して、戦争後の日本人の中にも、戦後、三菱重工に爆弾を仕掛けたり、サリンを地下鉄にまいて何の罪もない人間を殺傷する徒党としての人間は、たしかに存在する。

 そうしたけっして、通州事件のシナ人の非道、関東大地震の際における一部の在日韓国人(というよりも、当時まさに流れ者として来たばかりの彼らの中の、荒くれ者)ばかりが、非道な暴力に走るわけではない。つまり、これは、民族性、国民性の問題ではありえない。

 問題は、関東大地震において、在日朝鮮の人々が殺されたのは、
1.最初に各地の新聞が報道した「朝鮮人(その中の荒くれ者)が、放火、略奪をしている」という情報それ自体がデマだったのか。それとも、これ自体は、本当で、これに対する、防衛の中で、数百人の荒くれ者の朝鮮人が、逆襲を受けて、死んだ・・・・

2.そうではなく、「放火、略奪それ自体」がウソで、そのウソを信じ込んで、あっという間に、何も悪いことをする気のない朝鮮人出稼ぎ労働者を探し出しては、殺害し、6000人もおよぶ人を殺害した・・・こういうことなのか、どちらが本当なのか、ということが、つまり、この関東大地震の問題なのである。

現在、後者の説。、ありもしない「朝鮮人の破壊行為を誰かが噂をして、それをマスコミが報道して、さらにこれが潜在的にあった、凶暴な民族的残虐性を高揚させた日本人におとなしく善良な朝鮮人を大量に殺害させた、ということになっている。

 もう一度、再確認しておくと、地震のあったのは、関東大地震の起きた日は、大正12年9月1日である。

 そのその4年前、大正8年3月1日、ソウルの公演で、キリスト教、仏教、天道教などの「33名」が「独立宣言」を読み上げた。

 そこから、数千人規模の「独立マンセー」の「学生、労働者」デモが起きる。

 (これ自体、なかなか、わたしのような日本人には、カン違いを誘発する現象であって、「独立を望んで」のこととは忖度できるのだが、なぜ、それが「マンセー」なのか、日本人の感覚では、望みを達成した後に、万歳というものではないだろうか。

 ただし、妙な疑問はある。天皇陛下万歳という表現があるように、「天皇陛下」にすばらしい価値がある・・・「サイコー」という意味が天皇陛下万歳の趣旨なら、彼らは、独立という志向に価値があるという意味でマンセーと言ったというの事なのかもしれない。

 この点について、指摘する人は少ないが、本来「万歳」というのは、対象が「人」である場合は、息災で元気でいることを祝う場合であり、これは、友人の見送りでも、そのような意味を込めて、言う場合もある。ところが、人ではなく、「物事」について、万歳と言う場合は、よいことが達成された場合、または、達成されてそれが続いている場合を言うはずなのである。にもかかわらず、彼らは、三一運動で、なぜ、達成されてもいない「独立」を「万歳」と言ったのか。

 ここには、民衆に対する扇動とだましがある。つまり、ここで本当は、万歳というなら、「李承晩万歳」とか、「イ・ウォン万歳」と生きている王族の誰かを旗印にして、王族が生きていることを、あえて主張することは、すなわち、独立の象徴になるはずだった。それをあえて、「独立」と「万歳」という本来ミスマッチな言葉を無理やりにでも、スローガンにしなければならなかったのは、彼ら独立運動家が、両班出身者ではなかったのではないか、また、かなりな部分、ロシア革命の影響を受けた社会主義系、および、無政府主義者がおり、日本の天皇否定イコール朝鮮民族の王の称揚という方向ではなく、すでに、いまや皇帝の処刑されたロシア共産党と、「日本よりも豊かであるところの、アメリカ」をモデルとしようとしていた二派の連合体だった、と思われるのである。もし、これが、民衆の古俗への回帰に訴えるものだったならば、「万歳」は「独立」ではなく、「朝鮮王朝」「万歳」か「ワンジャマンセー」などの、王制復古的なものでなければならないはずだった。その頃、日本では、米騒動が、そして、朝鮮半島でも、労働争議が頻発していた。すなわち、戦後、日本の公式的な解釈では、日本の圧制に抵抗する民族の悲願のように、解釈されているが、労働運動の活動家、マルクス主義の共鳴者の影がないというほうが不自然な時代なのである。

そして、もうひとつ、私は、姜 尚中教授の編纂した「在日一世の記憶」という在日のおばあさんの子供時代の思い出に、「独立マンセー」と歌いながら野原を歩くグループを見かけた、という一節を見て、ああ、なるほど、すか、と合点がいった。

 韓国では、日本で言えば、牛若丸と弁慶、平将門・・・のように、だれでも知っている歴史逸話の中に、チャン・ヒビンという王の側室の逸話があるが、その物語のハイライトが、正室がチャン・ヒビンとその一味によって追放されてかわいそうだと民衆が流行歌として、歌って、それが、チャン・ヒビン派のうしろめたさにもなり、反チャン・ヒビン派の糾合(結集)にもなるというそういう物語がある。

 そして、この物語の祖型は、韓国ドラマの超人気番組だった、ソドンヨ薯童謡にも、同じパターンで出てくる。

 また、近年、慰安婦のおばあさんたちが、なぜ、嘘をつくのだろうか、と言われてもきた。しかし、彼女たちは、たぶん、嘘をついているのではなく、韓国経済があれよ、あれと、と高度成長する様を見て、自分の生活の知見だけから、ある時、これから、豊かさと正比例に、売春は世の中から、なくなるのではないか、・・・とすれば、自分たちの境遇は、貧しく、そして、軍国主義特有の非人道的境涯だから、売春は売春だけれども、その事実のままに、非人道的糾弾に値すると思い違いしたのだと思う。

 そして、周囲は、彼女たちの思いから乖離して、文字通りの强制連行と解釈して、運動体は、走りだしてしまったのではないだろうか。

 この時、デモ隊は、今のようなデモとちがって、現在の中国の学生の反日暴動と同じように、あるいはそれ以上に、襲撃、放火を行なった。

 景観側の死傷者も多数出て、在留邦人の生命の危機も懸念される事態となった。

 多くの家屋も焼失し、起訴された者は、6000人規模となったから、これが、極めて、暴力性の烈しいものだったことがわかる。

 当前、この暴動の指導者たちは、上海に逃れたり、満洲のロシアと北朝鮮の接するあたりに、潜伏したり、あるいは、日本に潜入した。

 日本では、国内で、併合以後の朝鮮地方の住民政策をもって、宥和的に進めるべきだ、という声が強くなっていった。

 ちょうど、同じ頃、大正8年には、イギリスとアイルランドの内戦がいよいよ、激しさを増して、日本の新聞に報じられていた。

 「ジン・フェインという武装集団が、ダブリン市の有名街区を占領して、暴力を持って、中央郵便局をのっとって、電信電話を切断し・・・」

 イギリスはアイルランド民族独立派に対して、一貫して、武断統治をおこなっていた。

 関東大地震朝鮮人虐殺と言えば、日本人は、戦後、ただ、「日本人のウルトラナショナリズム」と「レイシズム」「日本民族の暴力性の噴出」(大江健三郎、日教組らの主張)ととらえる。しかし、それらに常に欠けているのは、日本人の側からばかり見て、世界情勢の動向とそこから影響を受けた独立運動家の暴力革命の志向をまったく、無いことかのように無視する。

 三一運動とは、すくなくとも、指導者にとって、韓国に親日資本主義政権が生まれることも許さないし、朝鮮半島が資本主義的格差の存在することが、資本主義の歴史的矛盾だとする考えも含まれていた。

 それは、けっして、朝鮮の貧困層の民衆が共鳴した「倭奴ウェノムよ出ていけ」今ならヤンキーゴーホーム」と言う単純なものではなかった。

 次の人口統計は、驚くべき事実を示している。
 大正12年に8万617人だった在日朝鮮(半島からの移入民)は、
昭和2年にな、17万5911人。昭和16年には、146万9230人である。

 三一運動が韓国民衆の日本からの独立を願う広範な支持を得た運動だというなら、なぜ、「6000人の大虐殺があったとされる」大正12年を経過して、なお、すさまじい勢いで日本に向かって、彼らは来たのだろうか。本当に独立が望みなら、日本に100万人が来るよりも、100万人で戦うのがふつうではないだろうか。

 もちろん、真実は、戦前日本の庶民が、共産主義の暴力的政府転覆に対して、広範の支持を与えなかったし、戦後も成田闘争、反基地闘争を全大衆規模での支持をあたえなかったことと同じで、半島の独立運動は、「一部のロシアマルクス主義とイギリスとアイルランドの独立闘争に刺激を受けた者たち」の大衆への暴力扇動にほかならなかった。

 作家の吉村昭はこれらの状況を次のように解釈している。
 「(総監府の苛酷な経済政策によって職を失った朝鮮人が日本に出稼ぎにやってくることに)同情しながら、それは被圧迫民族の宿命として、見過ごそうとする傾向があった。(つまり、吉村は、日本人が、現在の従軍慰安婦問題における朝日新聞や辻元清美、福島瑞穂、田島陽子のように、朝鮮半島の人々を支援する活動をもっともっと、するべきだった、単に、同情だけではだめだった、という)

 そして、こうした背景のもとに、「大地震の発生直後、社会主義者と朝鮮人による放火説が自然に起こったのである。」とする。

 ここで、吉村昭は、山梨のサリン事件が河野さんの冤罪であって、事実無根の報道であったように、「社会主義者と朝鮮人(一部)が放火略奪をしたというのは、ウソだ」という立場に立つ。吉村は「日本人の朝鮮人に対する後ろ暗さがそうしたウソを考えださせた。」という。

 菊池寛も吉村昭と同じであり、芥川龍之介は、新聞の報道はあながちウソではないだろうとみた。

 ここで、大地震直後の不逞朝鮮人(不良という意味)今の感覚でいえば、六本木の元暴走族が、嫌がられているように、一群の嫌悪される朝鮮人はいた。放火報道をウソだという人々が忘れているのは、あるいは、無視したがるのは、ロシア革命が大正6年、大正8年が三一運動で、これが放火略奪を伴うものであり、その後、「日本における泥棒、強盗等の朝鮮人犯罪が新聞に載らない日がないくらい多発していた」という世情である。

 では、そうした、犯罪者たちは、大地震にかぎって、マナーを守ったと見るのが正しいのだろうか。

 大正9年から大正12年にのあいだ、朝鮮半島では、極めて犯罪率が高かった。
 そして、同時に、ロシア革命の余波は、反体制派をして、無政府主義者、社会主義者の燃えるような執念が日本の社会主義者との共闘を通じて、強化されはじめていた。

 この沸騰する過激思想からくる政治・社会転覆の意思と貧困から一般犯罪者へと堕ちていくヤクザ、チンピラ層が、関東大地震にかぎって、ぴたりとおとなしくなり、日本人は罪のない善良な朝鮮人を差別してきたうしろめたさから、彼らが犯罪者であるという妄想に陥った、とされている。

 1.だが、実際には、当時、大正9年1月4日には、半島の朝鮮銀行の支店で護衛の殺傷を含む強盗事件が発生。犯人は現金を強奪して、逃走。そのうちの4名は、半島の浦潮で逮捕され、さらにもうひとりは神戸で逮捕されている。

 2.さらに4月17日新聞記事では、当時の日本庶民は次のような記事を読んでいる。
(昨年の10月におきた外務省爆弾事件の容疑者を警視庁は逮捕した。
本郷区湯島天神町在住の徐相漢、下谷区龍泉町在住洋服職工金成範、同在住中央郵便局集配人、梁張海らが、家宅捜索したところ、爆弾数個を発見。・・・・と。

 警視庁の調べでは、首相官邸の襲撃計画があった・・・・というふうに。
3.大阪朝日10月9日
大阪南区日本橋付近の朝鮮人の李(なにがし)かたにおいて、爆弾数個を発見家宅捜索を行ったところ、不逞鮮人との往復書面を発見・・・」

 たぶん、こうした記事を見ると、単なる「朝鮮人」と「不逞鮮人」を使い分けているのであり、おそらくこれは、独立運動を日本政府要人の暗殺や外務省、官邸爆破などのテロを企てる組織がいくつもあり、それを指す場合、またヤクザ組織に類似のもっぱら犯罪をして生活手段とするグループの人間を「不逞鮮人」と表現していたのであり、一般の職業生活を営む朝鮮出身は「朝鮮人」とふつうの意識で呼んでいたことがわかる。

 つまり、不逞鮮人とは、差別語、侮蔑語ではなく、危険な人々という現実に即した表現なのだ。たとえば、日本のマスコミは、新左翼が内ゲバやテロによる交番襲撃を行なっていた頃、革命党などとは、言わず、「過激派」と大雑把に表現した。

4.大阪朝日新聞 大正10年3月3日
警視庁では、西神田、早稲田両署と協力して、捜査を続けている。
早稲田鶴巻町なにがし下宿、朝鮮平壌生まれの男を中心とする一団の事。

この人物が上海の臨時政府の重要人物だった時、内偵のため、渡航した警視庁捜査員は、彼らの一味に殺害された。

 その後の捜査で・・・上海から東京に潜入し、早稲田大学政治経済学科に入学して、絶えず、半島の間島カンド、上海、京城と連絡をとり、密議をこらしていた・・・」

この記事自体が決定的な犯罪ではないではないか、というなかれ、北朝鮮による横田めぐみさん、蓮池かおるさんをはじめとする多数の拉致被害が現実に起きていた頃、日本はこの程度の北朝鮮活動家の不穏な動きひとつ報道しておらず、彼ら拉致された被害者たちは、警戒するまもなく、連れ去られたのである。

5.神戸又新ゆうしん日報 大正10年11月11日
神戸水上署は10月23日、上海経由神戸に入港した静岡丸の船客、崔濱武を逮捕護送した。

自白によると、来日の第一目的は、東京を中心に内地朝鮮学生に向けて猛烈な思想宣伝を行なうことであった。(多少わかりやすく文章を変えた)

押収書類によると、日本内地で学生を募り、そこから、アメリカに留学生を送って、独立運動の中心人物を養成する計画があった。

6.独立運動はある意味、立派なこととも受け取れよう。しかし、それは、日本の連合赤軍、イスラム過激派の爆弾テロのように、暗殺、爆殺を伴うものであることは、安重根によるテロ、をはじめとするテロの記事によって、一般の朝鮮の人々にやさしく、まじめな人々がいることは理解しつつも、一方で、政治運動が恐ろしいものであることを痛いほど日本人は知っていた。
さらに1年後、
7.大正11年5月20日大阪朝日新聞
9月12日、総督府に爆弾が投じられた。この時の犯人を5月19日朝検挙した過程について警察発表がなされた。

 3月28日に上海で田中大将に爆弾を投じ、さらに、拳銃で狙撃した男が、英国警察に捕縛されて、日本に引き渡されたが、これを取り調べたところ、京畿道の金益相が総督府の爆弾犯人であったことがわかった・・・。
さらに大地震。9月1日の4ヶ月前、
大阪毎日新聞大正12年5月9日
「武器密輸事件に関連し、日本人遠藤銀の丞を逮捕取調べしたところ、米国製連発銃1万挺、弾丸10万発をチンタオに密輸して、朝鮮独立陰謀団に送り込んだと・・・」

 現在の感覚から言えば、「朝鮮独立」と言えば、正義の運動のように感じられる。
 しかし、これはまず、ひとつには、朝鮮の人々はおとなしく、つましく、黙って、抑圧されて、それを日本人が差別していたということにならないことになる。

 また、独立や革命運動というのが、ほんとうに、正義をもたらすかどうかも、カンボジアのポルポト、ソ連のスターリンの圧制、蒋介石の台湾の人々に対する圧制、毛沢東中国の内モンゴル、チベット、ウィグル支配を見れば、革命が正しいとは、とうてい一概に言えない。また、この韓国独立運動の当事者は、後に韓国の独裁者として、国を負われることになる。

 そうは言っても、日本は植民地した側だ、と言う人がおり、いや、あれは西洋型の植民地搾取ではなく、まさに日本は当時としては、朝鮮半島の福利増進に寄与したからこそ、急激に人口も増えた、という論争が続いている。

 しかし、それ以上に、問題は、関東大地震における「不逞鮮人による放火。略奪、暴行」はウソなのか、日本自警団はウソによって、動いて、罪のない朝鮮の人々を殺害したのか、それとも、事実、そうした報道の通りのことがあって、日本の町内の自警団は、身を守るために戦ったのか、という問題が残る。しかも、そのあとの、正当防衛により、はねつけられて死んだ人間が、どうやら200人くらいいた事を、「日本民族の凶暴性により6000人から2万人ホロコーストさながら殺された」という事になっている。ふたたに、言うが、芥川龍之介は、当時、の社会情勢、一般犯罪の記事をすべて総合して、「そうだろうな」と考え、友人菊池寛は、「君、まさか、そんなのは、ウソだろう」と言ったのである。 

 つまり、いまや定説は、「日本はかつて植民地時代に朝鮮を圧制と搾取をし、窮乏化し、流民、あるいは出稼ぎ人として日本の渡ってきた朝鮮の人々は、皆、つましく貧しく、生きてきたが、大地震の時に、突然あらぬ疑いをかけられて、あげくのはては、日本刀、鳶口、長棒を持った日本の一般庶民の暴力性の噴出ゆえに、大虐殺された」とこういうことになっている。

 これが、関東大地震朝鮮人大虐殺問題を、日本人が信じ込み、そして、日本人が信じている以上、韓国も信じて、9月1日になると、毎年ホロコーストだと非難する奇怪な歴史の背景なのである。

 ちなみに、余談ではあるが、福島原発事故が、オウム真理教のテロリズム、新左翼の連合赤軍等のテルアビブ空港乱射事件、航空機ハイジャック、三菱重工爆破事件など、凶悪テロが頻発していた状況下で起きたならば、かなり原発のさらなるテロによる破壊は起きてもおかしくなかったと考えるの常識というものだろう。

 以上、「工藤美代子著「関東大地震 朝鮮人虐殺の真実」に多大な教示を受けて、端的にまとめた。

 関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実/工藤美代子

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