ヒトラーとはなにか 4 | 気になる映画とドラマノート

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24歳のヒトラーは、ウィーンからミュンヘンに引越しして、ウィーンが、ユダヤ人、ドイツ人、ハンガリー人、イタリヤ人、クロアチア人からなる他民族都市であるのに比べて、ミュンヘンが、ドイツ人を多数とする民族都市であることにせいせいする思いがしたという。

 下宿のおかみさん、アンナ・ポップは、ひとらーが、国会図書館に始終出かけて本を読んでいるらしいと思っていた。そして、ヒトラーは、ある程度の収入を画業出得ながら、趣味的に、政治、外交の研究をしていた。

 それほど専門的探求ではないにしても、ヒトラーは少なくとも、ユダヤ人に対して、
「国際金融支配」「戦争扇動家」「マルクス主義との関係」という猜疑心をいだいていた。

 1914年、第一次世界大戦と、ヒトラーの25歳の時代の一致が世界史の運命だったのかもしれない。

 わたし自身は、どんな政治集会にも、参加する気になれないが、ヒトラー青年は、第一次世界大戦の祖国愛に燃えたミュンヘンのオデオン広場の群衆のなかにいた。

 彼は祖国愛に燃えて、バイエルン軍に応募した。

 4年にわたり、献身的に伝令兵として、参画して、勲章を受け、毒ガスを浴びて、入院治療を受けている最中にドイツは敗戦を迎えて、ヒトラー青年は失意に陥る。

 これこそが、ヒトラー青年をして、決定的に、「敗戦は、ユダヤ人のせいだ」という観念を生むのである。

 ヒトラーによると、マルクス主義者ユダヤ人と対決するために、ドイツの政治家になることを決意した、という。

 おそらく、このとき、ヒトラーは、あらためて、ウィーン時代に漏れ聞いた反ユダヤ主義の言論をおもいおこしただろう。

 このときのヒトラーのユダヤ人把握とは、以下のようなものだ。

 1.人種とユダヤ教の一致。
 2.先年にわたる同種交配。・・・・という見方
 3.ドイツに暮らしながら、民族性を放棄しない、頑強性。
 4.軽蔑すべき金銭至上主義
 5.※ここは、日本の朝鮮蔑視とは明らかに違うが、ヒトラーは、ユダヤ金融資本を、金利の力と考えていた。

 以上が、ヒトラーのユダヤ人排除の理由つけになっている。

 これは、現在の目からすれば、朝鮮・韓民族の人々が、皆、金銭至上主義であるはずもなく、当時もユダヤ人すべてであったはずはないので、当時から、ヒトラーはまちがった社会認識を持っていたことは、間違いない。

 そして、このような考えにいたったと同時に、ヒトラーは、55名からなるドイツ労働党に入党する。
 これこそ、ヒトラーという特異な政治家の出発の時だった。

 しかも、彼は、演説担当者になる。これがいけなかった。

 ヒトラーの最初の演説は、「敗戦後のベルサイユ条約はドイツにとって過重な条約であり、その責任は、ドイツ国内の、血族としてのユダヤ人政治家のせいだ」というものだった。

これは、小沢一郎、舛添要一、福島瑞穂、土井たか子について、朝鮮民族説を言い張る人々の存在と似ている。わたしは、小沢一郎、舛添要一、福島瑞穂、土井たか子が嫌いだが、民族的デマだかなんだかをい言おうとは思わない。

 要するに、ヒトラーは、ドイツ労働党に入党して、演説係に抜擢されて、ユダヤ人陰謀説を声高にはっしたことが、ヒトラーを政治的有名人に押し上げる最大のきっかけになった。

 たとえは悪いが、橋下徹氏が道州制を最大課題として、活動し続けたように、なんとヒトラーは、「ユダヤ人排除」を最大課題として出発した。

 ところで、韓国の日本語版ネット新聞で、日本の明治時代から昭和にかけてののテロ暗殺の多さを侮蔑的に指摘する文章を読んだことがあるが、ドイツのワイマール時代の暗殺による犠牲者は、数百名であり、ユダヤ人外務大臣のラーテナウは、354番目の犠牲者だった、という。

 もちろん、李氏朝鮮時代の暗殺の犠牲者は枚挙にいとまない。日本の暗殺のほうが、よほど少ないのが、事実だ。