アフガニスタンのムジャヒディンとは、日本がソ連や中国に侵攻された場合、創価学会、京都、奈良の仏教寺院、伊勢神宮、明治神宮をいっせいに破壊されたら日本人がどう思うか、と考えればわかる。
まさにアフガニスタンでは、イスラム寺院をソ連によって破壊されたことが、最も大きな反発の要因だった。
なぜ、当時最新鋭の軍隊を持つムジャヒディンが、ソ連に対抗できたかというと、アメリカが彼らに供与した「肩にかついで発射するスティンガーミサイル」の効果がおおきかった。これによって、数多くのソ連の大型輸送機やヘリコプターが次々に撃ち落とされた。
1988年、ソ連の撤退宣言と同時に、アフガニスタンの共産主義政権は瀕死の状態に陥り、各ムジャヒディン組織の代表者からなる、イスラム教擁護の政権が構想される。
しかし、ムジャヒディン連合軍は、共産主義政府に市街戦で敗北する。(その後、三年かかって、共産主義政権崩壊)
そうした状況で、アフガニスタン南部に位置するパキスタン国境地帯では、「タリバン」が生まれていた。また、国内は、共産主義政権は終わったものの、今度は、イスラム教を護持する勢力の内部で、地域部族対立によって、四分五裂状態になった。
タリバンは戦乱を止めるためにアラーによって遣わされた者として、民衆に支持を得た。
彼らはパキスタンの神学校に通うアフガニスタン難民の青年たちだった。
コーランの教え以外のすべての学問を拒否する彼らは、民衆には、聖人のように受け取られた。
タリバンは熾烈な闘争もする、イスラム教の熱心な学徒だった。
タリバンが首都を制圧して、民衆に教えた戒律は、他のイスラム諸国にも例のない厳しい戒律になった、
女性の家庭外労働完全禁止 頭からつま先まで、すべて覆うこと。
少女は、学校禁止、家での勉強も禁止。未亡人の片親家庭でも、労働禁止。
歌・音楽・スポーツ・小鳥飼い・・・禁止
四世紀の仏教遺跡は破壊する。
共産主義という人間の自由を剥奪する政治思想を排除したあとに、アフガニスタンに台頭したのは、「宗教政治の一党独裁」だった。(日本で言えば、創価学会が政権を握って、キリスト教や仏教を破壊して、国民全員になん妙法蓮華経と言わせるようなもの)
こうして、パキスタン系神学のタリバンとイラン系シスラム教の二大勢力の内戦に変化して行く。
一方、当初アメリカは、ただソ連の勢力伸張を抑えるために、小型ミサイルを供与していたのだが、ソ連が撤退したあとも、アメリカの与えた武器が内戦でひとり歩きしはじめていた。アメリカが各国から集めた義勇兵のひとり、ウサマ・ビンラーディンもそのひとりだった。
ビンラーディンはアフガンのタリバン政権と共同してアフガニスタン各地にテロリストの訓練所を作った。