東京裁判史観と日本人の法意識 | 気になる映画とドラマノート

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『 (サンフランシスコ条約)第十一條は戦犯に関する規定であります。戦犯 に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない瀞は釈放しなければならないというのが国際法 の 原則であります。従つて十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他 各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております。後段は内地において服役しております戦犯につき--(略)--恩赦、釈 放、減刑などに関する事柄--(略)』  (昭和26年10月11日の国会答弁、(第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第2号))

一般に戦後史についての論議がなされると、たとえば橋下大阪市長や田原総一郎のように、「日本は東京裁判の侵略だという判決を受け入れて、独立したんだ」という意見が、しばしば出てくる。

 上記の答弁は、「独立するから国際法の原則が適用されて東京裁判などは合法的効力を失う、しかし戦犯を釈放しないで量刑を引き継ぐ約束をする、という理解と了解」 の元に、日本は条約を批准したのであり、それ以上の意味は発効しないという意味であり、

「それ以上の意味とは、事実を学問的に研究検討して、学問上の歴史を見出すことをしないことではない、ということを意味する。

 これは当たり前であって、次のことを考えればわかる。

1.総理大臣田中角栄の逮捕やニクソンの逮捕は、日本そのものの汚職(涜職)判決ではなく、総理大臣個人犯罪である。ニクソンも同じで、アメリカという国が「盗聴罪(?)認定を受けたわけではない。

2.実際、「国家犯罪」というのは、比喩であって、「検事・裁判官・弁護士・被告」のある裁判官が国家そのもを裁くことはない。だからこそ、東京裁判の被告人には、「死刑」もあれば、「無期」もあった。これは、個人犯罪なのである。

したがって、日本人が、反省しなければならないのは、たとえば、田中裁判の例では、「政治家の汚職が起きないような仕組みであって、「日本が汚職して悪かった」と思ったら、キチガイであろう。

 同じく、A級戦犯の有罪判決は、日本が「犯罪」「侵略」を犯したというのでなく、政治家が、「開戦」しないように努力をもっとするような仕組みつくりをするべきだ、ということしか意味しない。

 ところが、田原総一郎や橋下徹は、あたかも、総理が汚職すれば、日本人全員が二度と汚職はするまいと誓うかのように、A級裁判の判決を受け入れたのだから、日本の歴史は侵略なのだ、とつなげる。

3.第一、今、人権を大事にする弁護士が、被告人が起訴事実(この場合は、侵略の共同謀議)を認めないでも、状況証拠により、有罪となった場合は、少なくとも、控訴や再審を求めるだろう。

 ところが、田原総一郎や橋下徹、日弁連系の多くの弁護士は、ふだんは、控訴や再審を当然としながら、東京裁判だけは、一審だけで最終結論だとしている。


 本来、A級戦犯になった人々を追及すべきなのは、

1.開戦を避ける努力をもっとすべきだったこと。
2.講和をもっと早期にすべきだったこと。
3.特攻などの帰れない攻撃をさせたこと。

などであって、侵略ではない。