くぼじいのぼやき

くぼじいのぼやき

人生を振り返り、ちょっと真面目に
後世に伝えたいことを記します。

心身共に健康で、他人に迷惑を掛いない生き方をしていれば、それだけで十分親孝行している、または、してもらっていると思う。

親として子に伝えるべきことを伝えるべき時に伝えられなかったことは、やはり残念だと思うから、まだ間に合うから今ここで思い切って伝えることとした。

母親が伝えることは伝えたと言っていたが、その内容を聞けばあまりに視野が狭すぎたし、視点が低すぎた。

 

人生の基本的な考え方は、心身共に健康で、幸せな暮らしができていること。

 

その上で将来に渡り、少しでもより豊かで安定した暮らしができる可能性を増やすため、自分磨きをする。

そのひとつが上位の学校に進学することだった。

でも、

名の通った大学を出たのに大卒でなくてもできる仕事に就いているのは少し残念。

せっかく学歴を生かして高収入が得られる資格がありながら活用できていない。

その原因は、多分、受験で失敗して落ち込んだ経験がないからなのだろう。

自分の努力が評価されず、否定されることが怖い。

俺もそうだったが、そんな嫌な思いまでして企業に就職しようなんて思わなかった。現実から逃げていた。

 

でも仕事が何かという事は、社会的評価は大きい。

逆の立場でどんな仕事で生計を立てているかで、ある程度その人間は評価できる。自分も評価される。

 

同級生がまともに就職してゆくのを見て見ぬ振りをし、自分に都合の良い理屈をつけて自分を正当化していた。

ある時、

外国人と仕事をする機会があり、その外国人は自分のビジョンをしっかり持っていたが、俺の仕事を聞かれ、自信を持って答えられる仕事ではなかったことに引け目を感じた。

そのことがあってからしばらくして決心し、募集のある企業に応募し始めた。大学卒業して3年後の2回目の就職時のこと。

その面談で言われたことを今でも覚えている。

「今まで何していたの?」

「この会社ではとっくに中堅で活躍している年齢だよ」

「その人達以上に努力しないと追いつかないけど、その覚悟ある?」

その帰り、すごく落ち込んだ。もちろん結果は不合格。

けど、このままでは先に進まないから頑張るしかないと思って「頑張ります!」という返事ができるように意識を変えた。

 

受けては落ちの繰り返し。

だが面談を繰り返していると、面接者がその質問に期待している回答がわかるようになってきた。

決してできないこと、経験のないことは「できます」とは言えないが、「これまでの経験と知識から頑張れると思います」と具体的事例で返答する。

そのうち面談の緊張感が楽しくさえ思えるになってきた。

そうなった途端、次々と合格してこっちが企業を選ぶ立場になった。

 

企業勤めがすべてではないが、

大学卒業まもなくであれば勢いで企業に入社しやすかったが、年数とともにその価値は落ちてゆく。時間だけが過ぎてゆく。

とりあえず、どんな企業であれ入社すれば、社会経験を積むことができた。

ビジネスマナー(挨拶の仕方、電話対応、名刺交換など)や、仕事の基本(考え方や進め方や組織での責任など)と、その達成感、忘年会や社員旅行の所属意識などの楽しい経験は、その後の人生でそれを経験したことのある人とない人で、人としての次元が異なる。

それが、俺が経験してわかったこと。

俺はまもなく現役から退く年齢となったが、それなりに手ごたえのあった社会生活だったと実感している。

 

女性は一生働く必要がないかもしれないが、それでも自分を選んでくれる人はその時の自分にふさわしい人。

これは間違いない。

 

俺の知り合いの女性にも、企業勤めせず、自営した人がいる。

接骨院経営、エステ店経営、クラブ経営、通訳翻訳。

すべて時間に流されることなく、自分で頑張った結果の人達。

 

この先がまだ決まっていないなら、人材派遣会社に登録し、企業勤務経験してみることはプラスになる。

できれば研修を多く受けられる人材派遣会社が望ましい。

自分では気が乗らない仕事でも、やってみたら自分に合っていたという発見がある。

俺もそうだった。人前で話すことが得意じゃなかったけど、大勢の前で話す仕事で、自分なりに頑張った結果、その企業ではいつも声が掛かることになり、高く評価された。

今でも大勢の前で話すことは苦手ではない。

 

長い人生で、新たな自分を発見してみるのも悪くない。

でもそれに気づいて行動できるのも、社会的に期限があることも知っておかないとならない。

自分を評価してくれる企業で活躍することは、仕事は大変でも毎日が楽しい。

人生には岐路がある。

例えば日常生活でも自転車に乗っていて、進行方向に障害物があった時、路面がでこぼこな左側を選ぶか、平坦だが後方から車が来る可能性がある右側を選ぶか、瞬時の判断に迫られる。
その時は右側を選択してことなきを得たが、想定外の事があった時、「左側を選ぶべきだった」と後悔するものだ。

子供の頃からいくつもの岐路で、右か左か判断して決めてきた結果、現在がある。
自分では決められず、自分の意と反して親に決められたこともあったが、ほとんどは自分で決めるべき事ばかり。
「あーすればよかった」「こうすればよかった」と後悔することもあるが、もし、もうひとつの方を選択していたとしら、今より良い状況だったかはわからない。
人間は欲深いようだから、過去を振り返って「あの時あーすれば良かった」と思うのだろう。
その感情をあらかじめ予測できる頭の良い人は、岐路に立った際、しっかりした理由を自分で持って、後悔しない方を選択するのだろう。

これまで生きてきて思うことは
自分に言い聞かせるのではないが、まんざらではなかった人生送れてきたと思う。
それは、その時々で岐路に立った際の自分の選択が大きく間違えてはいなかったのだろう。

「間違えた」と気づいた時も、すぐに方向転換する判断ををして行動できたことがよかったのだろう。
それなりに人の意見を聞き、言葉で言えるはっきりした理由で決めてきた。


人生経験を積んでゆくと、その判断は若かりし頃と比べて無難な方を選ぶようになっていくことを近頃は自覚している。
みんなそんな感じなのではないかと。

 

最近、危険な闇バイトなるものがニュースで流れてくる。
軽い気持ちやふとした気の迷いで、一生その罪を背負うことにならないようしっかりした自分を持つことが大事!
<これまでの危険な仕事体験>
①ニセ旅行割引券路上キャッチセールス
学生時代にバイト誌で見つけた会社へ面談に行き、説明を聞いた。
宿泊券が束になった一冊(確か二千円)を繁華街に立ち、道行く人に売りつけるという仕事(他にも2つあった)。

8人くらい同時に説明され「あなたはどの仕事ができますか?」とひとりずつ全員の前で聞かれる。

俺以外は全員「その仕事をやってみます」と集団催眠んでもかかったように答えていたが、「怪しい」と感じた俺は、「自分にできそうな仕事はないです」と断った。

今思えば、「よく言った」と自分を褒めてあげたい。


後で聞いた話だが、
その宿泊券で予約しようとしてもいつも予約が埋まっていて予約できない仕組みだったらしい。
完全な詐欺商法。


②なりすまし役
大人になってからのことだが、仕事依頼人から「寺の檀家として参加するだけでいい」という説明で引き受けた。
現場に行って初めて寺の住職が別の寺の若手住職をだます役割だったことを知った。
その場には俺一人。やらざるおえないと思い、面白半分さもあり、住職の期待に応えようなんて変な思いも出てその場はやり切った。
今思えば、それが何なのか(詐欺行為)の判断と、その場で断る勇気を持つべきだったと反省。
その後も依頼があったが断った。

仕事でもバイトでも「怪しい」と感じた時は、どんなに多くのお金をもらえる仕事でも、断る勇気が必要だ。
手を出してしまってズルズル引き込まれ、抜け出せなくなり、最後に痛い目にあい、一生後悔することになるのは自分であることを知っておかないといけない。
悪いことを誘ってくるやつらは、言葉巧みに、その仕事は簡単そうに、不正なことではないかのよう、さも人助けのようなことのように、軽いのりで誘ってくる。
それに流されない自分を持っていることが、身を守るうえで大事なことだ。

 

<まとめ>

仕事は収入を得る為にまじめに一生懸命取り組むべきもの。

しかし、働く者のまじめさを利用して、人をだまして都合よく働かせて金儲けする悪い奴らは昔からいる。

外観(身なり、顔立ち、会社の建物など)ではなく、その人の人格と、その企業と仕事の内容を見抜き、しっかり判断できるよう日々、意識して生活してゆくことが大事。

縁があった仕事でまともな仕事であったなら、

前向きに楽しみながら頑張る。するといつかよい事がある。

学生の頃、「ネクタイを締めてする仕事には就きたくない」と思っていた。
何か、会社の規則の中で窮屈な人生を送るようで、自由がなくなるようで。

しかし、
初めて務めた会社で、研修期間中はネクタイをする仕事となった。
電車に乗り、出勤途中、建物のガラスに写った自分を見て「まんざらでもない。結構似合っている。」と思った。
その後、いくつかの仕事を経験して思ったが、自分に合う仕事って
「やってみなければわからない」。

机に座ったままのの事務仕事。
人と話す接客の仕事。
自分にはどっちが合っているのか?、どっちが好きか?

理想は、
その仕事が好きで、ずっと長くできて、収入の良い仕事。
なかなか理想通りにはならないけど、若い頃は、時に流され、年を取っていってしまうことだけは避けたいと思いながら、手探りで転職を繰り返していた。
振り返れば、自分の器の中で何となく自分に合った仕事がしてこれたように思う。

Try and err

日本の教育システムは素晴らしいと思う。
ただ、社会人となってから知っておいた方が良いと思われる知識の教育が学校であっても良いと思う。
それは
・税金の仕組み
・保険(生命保険・損害保険)
・年金
知らないと損をすることばかりだから、早めに自分で勉強する事が大事。

20代の頃、若い(多分20代後半)外国人と仕事をする機会があった。

その時、通訳が「彼は若いのにしっかりしている」と言っていた。

それはどうやらその彼は自分の将来のビジョンを持っていて、体が身軽に動く若い時代と、年を取ってからの仕事の仕方を自分なりに持っていたようだ。

一方、俺はと言えばそんな先の事はわからないからと目先の事だけしか考える事ができなかった。

 

それに関連して、

若い頃は自分が60代になった時のことなど想像すらしなかったけど、60代になって「もっと早く知って行動しておけば良かった」と思うことのひとつが“年金”。
会社勤めの「厚生年金」と、バイトや個人事業の「国民年金」とでは、受取る金額が雲泥の差。
受取る年齢が近づいてからでは遅い。
手取り額は減るが、厚生年金加入が選択できた会社は、その方が良かったかも知れない。
ただその時代は、生活のため現金が必要だったから、仕方なかったというのもあったな。

 

いずれにしても、その通りに行かなくてもある程度は人生設計をぼろげながらでも自分で具体的に持っていた方が、哀れな老後を過ごさなくて済みそうだ。

世の中にはいろいろな仕事がある。
賃金が安い仕事をまじめに一生懸命な人がいる。

まじめに続けていれば、きっといつかは収入が上がるとどこかで期待し、信じている。
まじめに一生懸命仕事をすることは大変良い事だけど、世の中にはそんなに苦労しなくても高い収入を貰っている人がいる事実を知るべき。
決して世に反した仕事をしているわけではなく、同じ仕事でも企業によって収入や待遇が考えられないくらい違う環境に身を置くことになった時、それまでの自分の環境は何だったのだろうと思う。
中小企業より大企業だった。

これまでの人生でわかったことは、
今よりより良い環境(収入や福利厚生)に身を置きたいと思って自分を磨き、失敗にもめげず何度も採用試験にチャレンジし、その結果、認めてもらえること(採用され)になり、以前の自分がいたところよりはるかに高い位置にいることが実感できたこと。
自ら新たなステージにチャレンジしないと、いつまでもその環境から変わる事はできないということ。

それはバイトでも同じ。
心身とも疲れる仕事より、気楽な仕事なのに収入が多いことはたくさんある。
いずれも、それまでの努力と経験とチャレンジ精神と、採用してくれた人と出会えた運だと思う。

更に、それでおしまいではなく、その後はその期待に応えることが大事になってくる。


 

仕事を得るにはその相手から信頼され、「その人にお任せしたい」と思われることが必要。
・応募書類(履歴書・職務経歴書)
・筆記試験
・面接
アルバイトでもパートでも応募書類と面接は必ずある。
数ある企業の募集に勝ち抜き、仕事をしてきて思うことは、応募書類の書き方と面談にはコツがあるということ。
幸い、苦手とする筆記試験はほぼなかった。


応募書類はすべてのことを書くのではなく、その企業にあった内容を読み手が見やすいように書くこと。
面接ではその応募書類について質問される。

または最初からすべて自分で説明するよう求められるから、すべて頭に入っていて、質問にも答えられるようあらかじめ準備しておくこと。
面接は個別と集団があり、特に集団の場合、ひとつの質問を全員で順番に答えていくことがある。

その場合、自分の答えが他の人と同じ場合でも、少し言葉を追加する。実例とか経験とか。
 

最後に言えることは、
採用試験を突破して採用されても、働き始めて企業の期待に応えられなければ継続は難しくなるから、常々実力をつけるよう意識して現在の仕事(バイトもパートも同じ)を楽しむことが必要かな。
でも、苦しんだ時に頑張った時の方が、間違いなく実力はつく!

サボることは悪いことではない。
仕事でも家事でも、真面目にばかりしていたら身も心も疲れる。
適度にサボることは必要。

俺は目先の小さな損得勘定で、人から見られている時は一生懸命な振りを見せて、見られていない時はできるだけサボろうとするズルい癖があった。

しかしある時、それは自分にとって損なことに気づいて直すよう心がけた。
サボっても自分の仕事や役割が十分できたなら良いが、それも不十分だった時、評価が下がったり、もっとできる力があったり、努力できたにもかかわらず、ただ余計な労力は使いたくないと時間が過ぎるのを待ってサボった時代があった。
学生時代の時給のバイトがそうだった。
「仕事のできばえにかぎらず、時間が過ぎればお金がもらえる。それならできるだけ仕事しないで時間が過ぎるようにしよう。」
なんてズルイ発想をしてた時があった。

仕事を頼む立場の人の気持ちになればわかることで、言われた仕事が正確に早くでき、更に自分からもっと正確に早くできるよう工夫したり、自分で新たな仕事を見つけたりする人はずっと長くいてほしいと思う。そのために時給も高くしたいと思う。

当然のことだけど、いかにサボるかではなく、いかに効率よくできるか?できないことができるようになるかを考えながら仕事する習慣をつけることが、長い人生で大きな差がつくようだ。