前回の話の続きです。
(お菓子を頂いた後)
私
(まじめな顔をして)
先生、それにしても、やっぱり「モウジュウ」って、怖いですよね?
獰猛な奴が多いですし・・・。
(と、やっぱりあの、ガオーの「猛獣」が頭から離れない)
先生
HJさん、遊んでるでしょ? (笑)
私
ええ、まあ。(笑)
でも、改めて伺いますが、「盲従」って、
どうしてそれがエゴだと、先生は言われるんですか?
「盲従」って、そんなにいけないことなんでしょうか?
人は誰でも、子どもの時から、
親や先生の言うことを聞くように、
育てられてきたんじゃないですか?
それが、いけないことだと言われても、
理解するのが難しいのですが?
先生
本当は、「エゴ」という言葉の意味から説明しなくては
ならないですね。
人は「エゴ」の意味を、言葉の上では知っているつもりだと、
思っているのです。
私
わかりますよ。
自己中心的とか、自分勝手なイメージですよね?
先生
そうですね。
そういう「エゴの人」はいる、と思っても、
自分は「エゴ」ではない、自分だけは違うと、
誰もが思っています。
つまり、「エゴ」とは人ごとなんです。
私
まあ、普通、そうですね。
先生
これまでは、その程度の理解で、良かったかもしれませんが、
今、地球は、「次元上昇祭り」の真っ最中という
お話をしましたよね?
つまり、大事なことは、
これまでの3次元的なものの見方ではなく、
5次元的なものごとの理解が、
必要になってくるということです。
私
3次元的なものの見方とは、つまり表面的な理解ということで、
5次元的というのは、それより深い理解ということで、
いいですよね?
先生
まあ、要するに、それは「宇宙的な視点」で
物事を見るということです。
以前にも言いましたが、この場合の「宇宙的な視点」とは、
「ワンネス」であり、「根源的なソース」の視点、
ということです。
そして、この「宇宙的な視点」は、
「愛そのもの」の視点でもあります。
ですから、そこに善悪の判断はなく、
「すべてが素晴らしいという視点」だということを、
いつも忘れないでほしいのです。
私
えーと。
なんか、私には急に、難しくなってきたんですが。
要するに、愛からみると、コロナもワクチンも、
全部素晴らしいと、前に先生がおっしゃった、あれですよね?
先生
まあ、そうですね。
すべてを生み出した、宇宙の根源的な愛から見れば、
全部が素晴らしいということです。
だから、宇宙的な見方からすると、
「自分さえ良ければいい」というエゴも、
「自分だけは」という点において、
最低限の愛はある訳ですから、
そのエゴは、愛と別のもの、あるいは、
愛と対立するものではなく、
いわば「愛の対極にあるもの」と言えます。
つまり、エゴは、ふところの深い「愛」の一部分だという、
理解が必要なのです。
私
つまり先生は、エゴも愛の一部分だとおっしゃるんですね?
だから、これまでお話ししていた「毒」も、愛の一部分
だと考えているんですよね?
先生
そうです。だから、毒出しと言っても、
毒を悪と考えている訳でもないですし、
闇側に対しても、敵と考えている訳ではありません。
私
え?!
闇側の、あのレプティリアン(野郎、いや、失礼)は、
人類の敵ではないんですか!?!?
先生
もちろんです。
それどころか、闇側の存在があったからこそ、
この地球の3次元世界は、ここまで面白くなったのです。
闇側のいわばネガティブな働きかけにより、
人間に入った神は、自分が誰であるかを完全に忘れ、
とことんまで、人間になりきることができました。
そのため、人類は、多種多様な物事を経験することができ、
ひいては、この宇宙全体が、この地球のお陰で、
さらに充実したものになったのです。
私
じゃあ・・・。
充実し過ぎて、地球は今、こんなにめちゃくちゃに
なっちゃたんですね?!
(もう、破れかぶれです)
先生
その通りです。
私
(えーっ、合ってた?!)
先生
闇側と人類は、決して敵対する関係ではなく、実は対等です。
だから両者は、闇を深くすることに同意して、
共に宇宙の根源的なソースから離れる経験を、
この地球で、追求していったのです。
闇側と人類が、共に創造した経験が、
ここまで極まったからこその、
今の「めちゃくちゃ」なのです。
つまり、コロナにしても、ワクチンにしても、今の世の中が、
最高にひどい状況だと思って当然、なのです。
なぜなら、今こそ、闇が極まったそのピークに
当たるからです。
それは言い換えれば、愛の対極にあるエゴが、
その極みに来た、ということなのです!
私
あのー・・・、
私の睡魔も、極みにきているのですが、
(私の好きな)「モウジュウ」の話は、どうなったのでしょうか?
先生
今、ちょうど出てくるところです。
その「エゴ」の極みが、「盲従」なんですよ。
そしてそれは、闇側と人類が、タッグを組んで極めていった、
「エゴ」なんです。
だからこそ、まずその「盲従」の、
エゴ出し、毒出しをしないことには、
人類は、「霊性」を上げることも、次元上昇することも、
できません。
そのための、コロナと、コロナワクチンなのです。
「盲従」が、いけないことというよりは、
闇側の、地球の人類支配ゲームが、
ゲームオーバーになった今、
これまでのような「盲従」というエゴは、
続けられない状況になった、ということです。
私
そうなんですか?
でも、ゲームオ−バーになっても、
人類が、「盲従」というエゴがわからなかったら、
闇側がいなくても、人類は勝手に「盲従」を、
続けてしまうことになりますよね?
先生
その通りです。
私
そうだとしたら、「盲従」がエゴであるということを、
どう知ったらいいんですか?
先生
いい質問です。
それは、自分の本質が、宇宙そのものであり、
神であるということを、思い出すことです。
全知全能の神である存在が、果たして、
誰かに何か言われるがままに、盲目的に従うということが、
ありえるでしょうか?
これまでの人類が洗脳されてきた、
自分よりも強い者、上の者の言うことに従うのが
良いことだという価値観、
これが「盲従」ですが、
それは、人が宇宙そのものの存在であり、
神であるということを、忘れさせました。
「盲従」は、ピラミッド型の社会においては、
「強いものに従えば、自分は生き延びていけるから、
良いことだ」
という価値観に基づいています。
でもそれは、自分というものの存在を、
弱く、低い存在であると、常に意識することになります。
本質的に神である人間は、本来、何にでも
なることができるのですが、
それは「自分で自分をどう見るか?」
で、自分の存在を決めることができるのです。
つまり、自分は弱く、低い存在であると、常に意識していれば、
そういう存在として、
自分が生き延びることだけを、考えることが良いという、
価値観に生きることになります。
その「自分さえ良ければいい」の価値観に生きることが、
「エゴ」の大本にある価値観です。
HJさん、ここまでいいですか?
私
えーと。
私の質問が何だったかといいますと・・・
「盲従」がエゴであることを、どう知ったらいいか?
でした。
そして、その答えは、
「自分は、神であることを、思い出す」
でした。
先生
(笑)
HJさんが編集すると、答えは1行になっちゃうんですか?!
私
すいません、1行になってしまいました。(汗)
先生
じゃあまあ、続けますけど。
エゴは愛の対極にあると言いましたが、
この「自分さえ良ければいい」というエゴには、
「自分だけ」という最低限の愛しか、ありません。
それに対して、自分が神であることを思い出したら、
どうでしょうか?
神であるとは、「ワンネス」であり、
「宇宙の根源的なソース」ですから、
自他の区別がありません。
ですから、「自分だけ」という愛の、対極にある訳です。
人類が目覚め、霊性を上げていくためには、自分自身を、
弱く、低い存在と、見なすところから、
神であり、「ワンネスで」あり、宇宙そのものである、
というふうに、自分自身の価値観を
上げていくことが、今、必要なことなのです。
人類は、深く眠り込むことにより、
自分自身が、何者であるかを、忘れ、
さらに、闇側の洗脳によって、霊性を下げていきました。
悩み、苦しみの原因となる、
ネガティブな感情を経験することは、
良い悪いではなく、
「宇宙の根源的なソース」から、離れていくこと
を、追求した経験です。
そうした人類の経験は、何一つ無駄になることはなく、
宇宙の無限の愛の豊かさに、
貢献したことになるのです。
そして今度は、自ら目覚めることによって、
そこから折り返し、
「宇宙の根源的なソース」に、向かっていくことになります。
今は、人類は、ちょうどその、折り返し地点にいて、
苦しさの頂点にいるともいえますが、
同時に、それは、そこから素晴らしい目覚めの体験が、
始まっているとも、言えるのです。
人類は、自分自身を、弱く、低い存在にしてきた経験を経て、
今度は、「愛そのもの」の、無限に豊かな、
至高の存在に戻ります。
それは、宇宙にとって、いまだかつてない、
未知なる喜びに溢れた創造を、宇宙のすべての存在と共に、
していることになるのです!
私
今コロナで、人類は、苦しさの頂点だと思っていましたが、
それは素晴らしい目覚めの体験に、つながるんですね?
先生
いえ、それはつながるのではなく、
同時に起きていることなので、
目覚めの体験は、もうすでに始まっています!
私
いやー、
本当に、先生の話は尽きませんが、
要するに、
人類は、「盲従」を終わりにする時、なんですね?
(やっぱり、1行になってしまいました・・・汗)
(つづく)