筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

   2014年 飯塚市民祭 飯塚山笠   東流れ  (飯塚山笠 その5)


  飯塚の山笠の歴史は、文献にはありませんが 寛政(1789-1801年)の飯塚の絵図 の中に 祖八幡に祇園社 があり この頃すでに 山笠(祇園さん) があったと考えられることは 記載 (昨年の筑豊風土記の山笠の歴史を参照ください) しました。


その後も 明治から昭和18年山笠は祇園祭 としてあったのですが 一時中止となり   昭和46年(1971)6月30日が 飯塚山笠復活の日 で 東流れ と 西流れ の二流れで追い山 を 7月15日に行ったのが現在の 飯塚市民祭 飯塚山笠 の始りです。


飯塚山笠では 伝統の有る 東流は、 旧飯塚川の 東側 に位置する地区で あったため 東流れ と言われ 町名としては、 徳前・ 東町西・ 吉原町・ 御幸町・ 東町東・ 向町 の六町内の地域 であることも記載 (旧飯塚川についても昨年の東流れ及び遠賀川の飯塚川1・2を参照)しました。


昨年の 東流れ を見ていただくと 六町内の 伝統ある 各町内の山笠使用の 長法被を 紹介 していますので見ていただくと より深く山笠を知る事が出来 更に 山笠をに楽しむ ことができます。


これから考えると 飯塚市民祭 飯塚山笠は 東流れ 西流れが 生みの親 で 当然この二流れによって競われました。 そのため 優勝回数は 東流れ13回 西流れが16回 と互角の戦いでしたが かなしいかな ここ四年間 優勝 から遠のいています。


 本年度は、山笠組織を 変更され 林田 貴裕山頭  今泉 正樹旗頭  福永 隆一若頭  三浦 修己事務局長 が山笠四役員と代わられ 新組織としてスタートされています。 伝統のある 飯塚山笠の 主役 として 東流れの 健闘 を期待したいと思います。



B01    B02
        林田 貴裕 山頭               今泉 正樹 旗頭


 B03   B04
      
福永 隆一 若頭                三浦 修己 事務局長



B05  B06
        
平成23年 東流れ全員             山より 活-- 


 B07  B08
                
 平成23年 流れかき  




 B09   B10
    
平成23年 檄文披露              東流れの追い山成績

  
 
B11  B12
     
 東流れの先走り隊            東流れ山笠と栄橋附近の本部


 B13  B14  
        平成24年 東流れ山笠             中国三国時代の蜀


 

 東流れ山笠本部 位置情報

             北緯33度38分16秒  東経130度41分11秒


     今年は、 強い東流れ を 見せていただきたいと思います。


 紹介写真の一部は 市民祭 飯塚山笠振興会 の写真を使用しています。




 次回の 掲載は 飯塚市民祭 飯塚山笠 新流れ を お送りします。