宮川泰介選手を追いつめた「魔物」
法政大学教授 田中研之輔

 

 U19日本代表にも選抜されるほどの実力を持つ、宮川選手が自ら「アメフトをする権利がない。アメフトはもうやらない。」と言葉を重ねた。彼の存在はアメフト界ではすでに知られ、社会人リーグの関係者が、将来を期待し、獲得を視野に入れていた。彼はアメフト界の今後を担う「逸材」の一人だ。

 

日本記者クラブで行われた昨日の会見を見た人なら誰しもが、アメフトで鍛え上げられた強固な肉体を「凶器」へとかえた宮川選手の「実直さ」を確認した。記者対応にも慣れない成人を迎えたばかりの学生が、全ての質問に自分の言葉で答えていた。弁護士は同席していたが、必要以上に弁護士を頼らなかった。彼は一人で証言した。

 

顔を晒し、今後の人生をリスクに晒したしても、怪我を負わせてしまった関西学院のQBの選手への謝罪を優先した。会見を見た、関西学院の名将鳥内監督は、「真実を語ってくれたことに経緯を表し、立派な態度だった。」と語り、被害者の父親も、「勇気をもって真実を話してくれたことに感謝する。」と述べた。宮川選手の行為は消えないが、彼の真摯な謝罪は伝わったと思いたい。

 

 今回のケースも、力士暴力問題、女子レスリングパワハラ問題に続く、「スポーツと組織」の<権力関係の歪み>が引き起こした<事件>だと言える。

 

しかし、今回の問題は、次の二点でこれまでの<事件>とは異なる様相を呈した。

① <問題のシーン>が映像で記録されている点
② 加害者である当事者が「問題に至る経緯の詳細」を明らかにした点

 

この二点によって、外側にいる人間も、問題に至る要因の詳細を推察することが可能となる。まず、これまでの「事件」は、「何が起きたのかは、藪の中だった。」語られる証言ベースでの憶測でしか判断できない。こうなると、権力関係の優位者や優位組織が、有利に証言を重ねる。弱い立場の個人の声は、「もみ消されてしまう。」

 

 宮川選手のタックルは、記録されていたことで、その異様さが、逆に際立った。U19の日本代表クラスの選手のプレイではなく、「何かに取り憑かれたほどの」理解しがたい危険なタックルであったことも、映像によって裏付けられた。

そうなると、「なぜ、そのような行為に至ったのか。」という「経緯」が焦点となる。その点について、宮川選手が、自身の言葉で詳細を明かした。

 

組織が暴走するときには、個人の手ではどうにもできないような力が作動する。

① 日大は、昨年度、関西学院大を13-10の接戦を制し、「日本一」に輝いた。今年は、王者防衛のシーズンであった。組織のポテンシャルを超える「絶対に負けられない」というプレッシャーが暴走のガソリンとなった。

②  絶対的な存在となった監督は、大学の常務理事でもあり、権力の中枢にいた。そのポジションにいるトップの組織マネジメントが、「徹底的に追い込んで力を引き出す」ハラスメント的な手法であったこと。6月の日本代表の出場を辞退するように強制したことや、練習に参加させない、「追い込み型のハラスマネジメント」が、宮川選手の「覚醒」ではなく、「行き過ぎた行為」を生んでしまった。

 

 ここには、「所詮、スポーツでしょ。勝ち負けなんか、大したことじゃない」とは、口にできないような、それぞれの人生を賭けた闘争がある。

 

 閉じた組織は、内的な権力関係を強化する。
94名の部員、13名のコーチ、その上の絶対的な監督とからなるピラミッド組織は、純朴な個人を徹底的に追い込む。

 宮川選手が、自身の人生を賭けて示してくれたのは、組織に棲む「魔物」が、集団内の判断を逸脱させていくまでの強力な力を持っているということであり、その力に徹底的に抗うべきなのが、組織のトップに立つべき者の手腕が問われるところであるし、使命でもあるということなのだ。

 

 今回のことから学んだことは何か、と記者に問われた宮川選手は、「自分の意思をしっかりと持つことだ」と答えていた。彼のあの言葉は、マインドコントロールを自ら乗り越えた成長から出てきていた。

 

 組織のトップが、権力を自由に振りかざし、自身を組織の「魔物」とじわじわと同化させていく変貌の過程で、どのブレーキも効かなくなるほどの暴走を生み出す。権力の中枢に身を置きながらも、スポーツの良さを身体化されている監督であるならば、組織の「魔物」に乗っ取られてしまった自身の過信を潔く認め、全てを明らかにして、まず、関西学院大のOQ、監督、関係者への謝罪と、何よりも、宮川選手への(直接的ではなく、間接的で)親身なケアをしなければならない。

 

 そして、組織に属する全ての人は、
 組織に棲みつく「魔物」の怖さを自覚し、
正常な判断を逸脱する手前で
ブレーキを適宜かけていくことの必要性を学ばなければならない。

 

その意味で、私は今回のケースは、「監督やコーチ」の個々に問題の全てを被せていくのではなく、組織の<権力関係>と<構造的な要因>が引き起こした問題として理解している。

 

そう考えなければ、今回のような心を痛める<事件>が、
再び、繰り返されてしまうだろうから。

 

組織の問題は、誰にとっても対岸の火事ではない。
むしろ、どの組織でも、どこでも起こりうる。

 

「自分が宮川選手だったら、同じ行動をとってしまったのではないか」
と思う人が大多数を占めるはずだ。

 

それほどまでに、
組織とは、暴走を肯定しうる土壌を兼ね備えている。