『キッズ・リターン』の新説!
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完全に見た人向け!
『キッズ・リターン』
説明不要の名作ですね。早稲田松竹で本作と『ソナチネ』の2本立てがやってたので観に行きました(『ソナチネ』についても近日書きます)。
もう何回見たかわかりませんが、このたび劇場で見て新しい発見があったので、それについて書きます。ズバリ! ラストの解釈についてです。
では、元ボクサーのシンジと元ヤクザのマサルの2人のやりとりについて、おさらいします。
シンジ「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな」
マサル「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねーよ」
このセリフについて、江頭2:50が実に優れた解釈をしています。
「観ているオレたちは救われているのに、アイツらは決してハッピーじゃない。この引き裂かれるような感覚がオレを切なくさせるんだよね」
ここまで見事にあのセリフの解釈をされたら、他の映画評論家どもは立つ瀬無いでしょう。えがちゃん恐るべし!
つまり、【観客(希望)////シンジとマサル(絶望)】ってことですね。
けど、僭越ながらいちゃもん付けさせていただきます。
(こっから僕の解釈)
マサルは終わったけど、シンジは始まってないよ!
つまり、
【観客(希望)//シンジ(マサルからみたら希望)////マサル(絶望)】ってことです。
では、その理由をみていきましょう。
①2人とも終わってると云えば終わっている
これは確かです。マサルは言わずもがな、2度とヤクザには復帰できません。シンジもボクサーとしてはもう大成しないでしょう。もう一度ボクサーをやっても不良ボクサー・モロ師岡のようになるのは目に見えています。
なので、2人とも元の道をやり直すのであれば、きっと挫折してしまいます。(マサルに至っては、やり直すことすら無理な気がする…)
この意味で2人は、ヤクザとしてボクサーとしては終わっちゃいました。
②2人の人間性
ここでいったん「そもそもマサルとシンジはどういう人間なのか?」を改めて考えてみます。
もともと2人がボクシングを始めたのもマサルの挫折から(カツアゲしたら返り討ちにあう)です。シンジに至っては「マーちゃんが始めたから」という成り行きでボクサーになります。その結果、マサルはさらに挫折し、極道へと転向します。
これはどういうことかというと、
マサル → 挫折から新しいことをはじめるタイプ
シンジ → 成り行きで新しいことをはじめるタイプ
ということです。
さらに言うと、彼らにとって「ボクシングだけが人生のすべて」でも「ヤクザだけが人生のすべて」でもないわけです。挫折した先にボクシングとヤクザがあり、成り行きで生きてたらボクシングがあっただけなんだから。
③これらを踏まえた新しい可能性
物語の最後、2人は今までにあったこともないような挫折を味わいます。
これは、まさしくマサル再チャレンジの契機!
しかし、でっかい彫り物背負ったマサルが何かやり直せるとは到底思えません。
二十歳そこそこで、彼は大きな代償を払ってしまいました。元ヤクザ……そしてその冠を一生背負わなければならない。彼もそのことは重々分かっているでしょう。自他共に認める「マサル、TATOOあり!」
高校中退後は職探しをいているマサルですが、少なくとも堅気の仕事をきびしいでしょう。
では、シンジはどうか?
シンジはもともと成り行きで始めて挫折しただけですから、なにか新しいことがまた見つかればそれに挺身していくことだってできます。
彼が背負ったものといえば、中卒くらいです。
だから、彼にはまだ可能性があります。もちろん「マサルよりは」ですけど。
さらに言うと、シンジは振り出しに戻っただけです。
新聞配達で生計を立てている「今」のシンジと、高校時代マサルにコバンザメのように従って小悪なことを繰り返していた昔のシンジ、どちらの方が「終わっちゃってるか?」と云えば、まぁどっこいどっこいでしょう。
まとめると
【ボクサー時代>>>コバンザメ時代=新聞配達している今】ってことです。
④ラストのやりとりの本当の意味
以上から、マサルは終わっちゃってるけど、シンジは終わっちゃってない(≒始まってない)といえるでしょう。
そして、一見して2人は等しく挫折を味わったと思われますが、マサルはシンジとの境遇の違いをひしひしと感じているはずです。毎晩シャワーを浴びるたびに鏡に映るじぶんの刺青…、おまけにシンジは職だって持っていた。
僕なりにこれらを踏まえて最後のセリフに注釈を加えます。
シンジ「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな」
マサル「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねーよ!(お前はな……)」
ここで、えがちゃんの解釈をもう一度みてみましょう。
「観ているオレたちは救われているのに、アイツらは決してハッピーじゃない。この引き裂かれるような感覚がオレを切なくさせるんだよね」
半分正解で半分間違っています。
シンジとマサルも引き裂かれています。
つまり、
【観客(希望)//シンジ(マサルからみたら希望)////マサル(絶望)】ってことです。
最後にまとめのまとめ
『キッズ・リターン』はマサルの友情と悲哀の物語です。
「俺たちもう終わっちゃったのかな」なんて馬鹿げたことを言ってるシンジ…。「俺の身になって考えたことあんのか、シンジ!俺に比べればお前なんてまだマシじゃねーかよ!」
こう返してもおかしくないはず。
けど、親友のシンジにはそんな後ろ向きなこと言えない。だからマサルはこう言う。
「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねーよ」
「お前は…」