いつも場違いだった。

お前はなんでこんなとこに?

 旅人に寛容な土地は多い。メキシコの海沿いの田舎町では珍しいはずの東洋人を自然と受け入れてくれた。アメリカはそんなことにもむしろ無関心なほどだ。「どこから来た?」「よく来たな。」「次はどこへ行くんだ?」寛容ではあるが俺は旅人だった。外から来た人間であるということは事実で、別に土地の伝統がどうとかいう話をするつもりはないが、現地人と俺の間には、つまり「内」と「外」には明らかに見えない線があった。いや、どこで生まれてどこで育ったとかいうよりも、「どう生きるか」といったことが基準だ。「そんなボーダーは幻想だ」「ノーボーダーだ」という意見が聞こえてきそうだが、悪いが今はそういった類の話をしているんじゃない。
 華僑という言葉がある。「僑」とは「仮の住まい」の意。世界中に根付いた中国系の人々の一部はこれを嫌い、「華人」という呼び方を好む(「サンクチュアリ」では「和僑」という造語が出てきた)。
 何度か言ったことがあるけど、俺だって仮の住まいを転々としているわけじゃない。永住の土地をいっぱい作っているんだ。つまりこの世界で生きているんだ。元から俺に板橋が地元なんて意識はない。ただ、旅人はいつまでも孤独だ。旅人の友は、彼が二度と帰ってくるなんて思っていない。しかし遊牧民は違う。仲間の誰もが待つともなく再会を信じている。

 いつも場違いだった。お前はあっち側の人間だろう。街中ですれ違いざまに昔見たような顔が笑う。時々ある光景だ。それでも俺は振り向かず、また違う色の土地へ向かう。いつしか俺は何色でも出せるようになる。