ワシは、芸能人が政治的な発信や信仰に関わる発信があって全然いいし、海外では当たり前というかね。

外国人が日本に来たら自分の信仰観を世間話のように話せない空気ができてて、。。。驚きと不思議を感じた約20年って言っていたので。

ワシと普通に哲学、思想、宗教の話をできたことに大いに喜んでいた。日本に来て当たり前な感じでこんな話ができた!って。

 

それだけ、日本という国は妙なんですよ。元明石市の泉さんが、インタビューで飲み会での会話で政治や宗教の話をオープンにするべきだ!って。そいう話が日常でできないから閉ざされた世界でカルト教団のようなのが見過ごされるというような主旨の話しをしていたので共感した。

 

多様性とか人権意識という観点につながると思うのだけど、他人の持つ思想や信仰、ジェンダー等、はじめは違和感あるかもしれないけどそれを受け入れる社会にしないといけないということは常々思う。

 

だて、以下の見出しの記事で思うこと。

 

橋下徹氏 日本も「タレントが若者巻き込んで政治論争を」 テイラー・スウィフトの大統領選巡る騒動で

 

アメリカのセレブリティは自分の立場と果たすべき役割を自覚している。また、芸能界のビジネススタイルは日本と違う。これは以前にもコメントしたこと。

 

テイラー・スウィフトは自家用チャーター機で移動するぐらいだから、芸能プロダクションに所属しているわけでなく、チーム・テイラー・スウィフトの長だからその言動に影響力があるわけですよ。でも日本の場合は、芸能プロダクションとマネージメント契約をしてそれぞれのプロダクションの方針にもよるけど、奴隷のように規制がかかるタレントもいれば、規制はないけど、ソーシャルメディアで炎上するような発信をすれば距離を置くか、謹慎処分的なことを課したりするわけだから、芸能人は好き勝手に心情や政治思想、宗教関連の発言はし難い。

橋下氏の発言は否定しないし、そうあるべきなんだけど、今の日本社会、芸能界のビジネスモデルでは難しいのではないか?

 

個人事務所でその事務所の責任者にもなっているタレントなら自由に発言はできるでしょ。小泉今日子さんが分かりやすい例かな?あとは、。。これは。。選挙だと、公明党なら創価学会の芸術部員が遊説で応援に入るし、維新なら大阪では吉本新喜劇の座員とかが遊説で応援に入ることあるよね。これは政治的なというより、選挙なんですよ。日頃から政治的な発言なんて芸能人がするのはね。

 

若者を巻き込むというけど、井上咲楽なんかが出てくるけど、あれ、単なるマニアヅラしているだけで、政策的な話でもないし。

 

あとは、日本社会が、何かに偏るような発言やそうした考え方の人に違和感を覚えてしまうようなところがあるのかな?

テイラー・スウィフトを引き合いにこれを論じるのはちょっと違うかな?

 

社会全体で多様性とか人権感覚をしっかり持てるようにならないと厳しいよね。

 

ついでに、セクシー田中さんの件とかフジテレビの内部会議の内容からして、テレビ局は人権意識は持とうとしてないし。

人権を意識したらまともな番組が作れません!って。「馬鹿」か!それだから視聴率低下とか俗にいう炎上?って感じで不快でつまらないものしか作れない。価値観や意識が社会常識とかけ離れているよ。その他メディアはね。

 

品質がよい仕事する、商品を生み出す、商売をするには、利益至上主義的な考え方から離れないと、返って労働者は疲弊し質が低下する。