(劇評)「演劇という魔法」小峯太郎 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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 この文章は、2022年12月10日(土)15:00開演のかなざわリージョナルシアター2022「げきみる」参加作品、劇団羅針盤『魔法少女続けました+LOVE』についての劇評です。

 日本の漫画・アニメの系譜には「魔法少女もの」というキャラクター類型がある。美少女戦士セーラームーンに代表されるように、普段は普通の学校生活を送る少女が戦闘において変身し、魔法などの不支持な力を使って、悪い敵をやっつける。

 ただし、いくら魔法少女でも永遠に少女であるわけにはいかない。25年続けたら少女だって年をとるし、普段はパートで働く中年のおばさんになっているかもしれない。
 
 そんな魔法少女のリアルを地元ネタをちりばめてユーモラスに描いたのが劇団羅針盤による『魔法少女続けました+LOVE』(作・演出:平田知大)だ。舞台設定は「レジ応援お願いします」の音声が頻繁に流れるようなスーパーマーケットかドラッグストアの裏方のスタッフルーム。同時にそこは魔法少女「ジュエルウィッチバニー」(宮崎裕香)と仲間たちの秘密基地でもある。色とりどりの立体物が乱雑に設置されていて、商品在庫のダンボールが積まれているようにも見える。立体物がシーンごとに様々に見立てられる抽象的な舞台だ。

 ある若者、太田(能沢秀矢)がリンゴを三つ盗んだ万引き容疑で連れてこられる。しかしそれは魔法少女が仲間を募る求人情報に仕掛けた暗号を読み解いたことのサインであった。彼は魔法少女の熱烈なファンであり、仲間に受け入れられることは長年の夢だった。
 
 しかし、仲間になった太田は魔法少女が自分の思い描いていた、二頭身で金髪ツインテールの、瞳が大きくて全身がキラキラと輝いている二次元的な少女キャラではなく、いささか生活に疲れた感のある身体の線の緩んだリアリズムの中年女性であることに愕然とし、幻滅を味わうことになる。それでも悪との戦いに参戦し一度は勝利するもより強力な敵が現れて‥‥‥魔法少女チームの戦いはまだまだ終わりそうにない。

 二部構成の後半の舞台設定は一転して大正時代にさかのぼり、魔法少女の先祖が魔法のほうきを手に入れるまでのエピソードが演じられる。刀を捨てきれない着流しの男が登場し、師匠との立ち回りを演じるなど、展開に唖然とさせられるがこの殺陣のシーンがこの劇団の十八番でもありどうしても演じたかったのだろう。全体として、男性が妄想する少女キャラクターへの批評性が、結局は女性の年齢や外見を揶揄しているレヴェルに留まってしまったことに物足りなさを感じた。

 物語をじっくり味わうというよりも、変身する戦隊モノのショーを見ているような、俳優のスター性を全面に出して「かっこいい」ポーズを決める演出が羅針盤のスタイルである。このスタイルは一見古めかしいかもしれないが、羅針盤はブレずにその指針を一貫してきた。そのように考えると、彼らにとって魔法少女とは営々と続けてきた彼らの演劇そのもののメタファーなのかもしれない。劇団が動きのキレや若いヴィジュアルを失いかけていることを自虐的に嗤いながらも、観客に魔法をかける演劇という夢はこれまでも続けてきたしこれからも続けていく。そんな決意を感じた上演だった。