最近父親が入院退院ずっと繰り返してはいたけど、今月前半(10日くらい?)に帰ってきたときは普通に肉食ったりしてた
そのときから昼寝してる時間長かったりはしたけど朝はほぼ同じ位に起きてたし普通に朝昼晩食べてたから重い病気なんて知らなかった
その後2,3日したらリュックに荷物まとめてちょっと親戚の家に行ってくるみたいな感じで母親と外出したと思ったらまた入院だった
母親からは父親の病気の内容とか全く知らされてなかった
3日前に父が明後日返ってくるけど3,4週間保たないかもしれないとか急に言われた
そのこともあって昨日自分の体調が悪いからお昼に早退してきたら父親は既にリビングにいて普通にテレビ見ててお昼ご飯も冷やし中華を母親が出してたから、意外と大丈夫なんだなって思った
夕飯のときも量は少なかったしかなりゆっくりだったけど、味の濃さについて母親にいったり食べることへの興味がなくなったわけではないんだなって変な安心感あった
ただやっぱり体力的にきついのか今朝8時になってもまだベッドから起き上がってなかった(自分で膝立てたりしてるから動けないわけではないっぽい)
入退院してたとは言えほんの1ヶ月とか前まで普通に生活してた(畑にいったりもしてた)親が食も細くなって弱ってるの見ると涙が出る
6月中旬まで雨の日は駅まで送り迎えしてくれたり元気だと思ってたのに、そんな重い病気の治療しながら普段通り接してくれてたって知ってまた泣く
もしかしたらそのとき既に医者から余命について聞いてたけど、あえていつも通りに接してくれてたのかもね
好きか嫌いかって言うと、構って欲しさにガキみたいなちょっかい出してきたり猫構うていで廊下で大声出したりして正直嫌いだったけど、同居の家族が弱っていくの見て悲しくなる気持ちはそれとは別なんだなって知ったわ
"
別件で小学生4年か5年くらいのときに重い病気で入院した友達もずっと学校にはこれなくて最後に見たのは卒業式のとき
中学生の夏くらいのときに結局亡くなったんだけど、よく一緒に遊んでた友達なのに数年会ってなかったせいかそのときは涙が止まらんとか悲しいとかの気持ちは特になかった
亡くなった話を親から聞いたときも「え、そうなんだ」くらいの気持ちしかなくて葬式も作法間違えないようにしようとか遺族に無礼な行動しないようにしようって気持ちしかなかった。
葬式後も最初から一緒に川で遊んだときは楽しかったなとか楽しい思い出を思い出せる程度に落ち着いてた
"
昨日は涙ですぎたからかお昼過ぎ以降は目が痛くなって泣くこともなくなったんだけど、昨朝は駅まで原付きで涙流しながら運転してた
職場にはこのこと特に話してなくて仕事中も涙出ないように別のこと考えて必死に我慢してたけど、どうしても涙が出てきちゃうことがあって何度も汗ふくふりして顔拭ってたからもしかしたらなんかしらバレてるかもしれない
でもさすがに食欲とかにも影響あったから今日は休んだ
うちの会社は有給じゃなくてもタイムカードに休みますってスタンプ押して提出すれば特に理由を聞いたりしない緩さだからこういうとき助かる
今回の件で自分ではそこそこ理性的だったり論理的なつもりではあったけど感情的で自分勝手になれるんだなって思った
散々嫌って塩対応してた相手の最後を感じたら泣くとか勝手以外何者でもないもんな
それについて自責するつもりはないから、もっと自分勝手に悲しんで残りどれくらい残ってるかわからんけどなるべく普段通りに過ごしながら出来ることをやってく
昨日も2組3人親戚?の人が退院した父親に会いに来てくれてたみたいで、そのことがすごく安心感あった
理由はわからんけど父親のこと気にかけてくれる人が外にもいるって知って変に安心した
自分の思ってることそのままを受け止めて整理して落ち着けるために自分の思ってることを隠さず日記とかメモを書いたほうがいいっていうのを見て実践してみたブログ