パッション | ライジング・サン(甦る日本)
2010年01月30日

パッション

テーマ:国策捜査、冤罪、公安

メル・ギブソン監督の映画「パッション」は映画館や自宅でDVDを借りて観た方も多いだろう。

そう、あのイエス・キリストがゴルゴダの丘の上で十字架に架けられ、最後に死んでゆく映画である。

私も何度も観て涙を流した。  これはイエス・キリストの十字架までの12時間を描いている。

ゲッセマネの園の祈りからはじまり、最後の場面は復活のイエス・キリストになる。イエス・キリストがユダに売られ、鞭打たれ、十字架を担いでゴルゴダの丘に行き、十字架に釘打ちされ、十字架の上で息絶え、そして復活する。 

 私の家は日蓮宗だが、私自身、別にそれを信仰しているわけでもなく、無宗教でありキリスト教徒でもない。 旧約聖書や新約聖書、ユダヤのタルムードを勉強がてらに読んだ事もあるが、全てを理解しようと思っても無理だ。(笑)

メル・ギブソンは私の好きな俳優の一人であり、あとはマイケル・ダグラスやチャーリーシーンも好きだ。


このパッションの映画の中で一番心に残っているキリストの言葉がある。 もう一度観てみないと正確な言葉を書けないが、映画の最後の方で十字架にかけられて神に向かって放つ言葉だったと思う。


その時に十字架の周りには十字架刑の指揮をした百人隊長がいます。 キリスト殺すための指揮をとっていた彼が、終わりに近づくに従って柔和な顔になり、母マリヤを親切にもてなし、最後には兜を脱いで、敬虔とも祈りとも言える姿が映し出されている

 実はこの百人隊長は、かつて自分の部下をイエスに癒してもらった人だった。 過去イエスに助けられながらも最終的には自分は彼を殺す。 ここに、彼が自分自身の姿を見る。イエスに愛されながら、彼を十字架につけ、彼の手に釘を打ち続ける自分。そんな悲しい自分に気づかされるのです。

 しかしイエスは、そんな彼のために、手に釘を打ち込まれた瞬間に「父よ、彼(ら)を赦してください!彼(ら)は自分たちが何をやっているのか解っていないのです」と。


その言葉を聞いたのちに、私は現実社会において数々の無実の罪にかけられた人たちや、罪を被せる者たちを照らし合わせてみることが多くなった。

恣意的に作り上げられた小沢氏の問題や、植草氏、鈴木宗男氏、他多数の国策、冤罪捜査など、仕掛ける者たちは、自分たちが何をしでかそうとしている(した)のか解っていないのである。

ある人物の台頭で自分たちが脅かされる。 その人物の言葉や行動によって民衆が立ち上がり、逆に権力を維持してきた者たちが十字架にかけられるその恐怖から逃れたい。 

正しい事が権力者たちにとって正しくないと判断された者は、正しい事を指示する者の周りの人々をも取り込み

悪に仕立て上げ切りつける。 

小沢氏をキリストに例える事はできないが、彼はまさしく庶民のための政治をやろうとしている。

米国や官僚の支配下に置かれた国民を開放しようとしている。 誰もが心底スーパーリッチになりたいと思っているわけではない。 希望はあるだろうが、なるべく困らないような普通の生活を望んでいるのである。

一部の人間の利潤を追求するために国民を犠牲にしてはならない。  

国民のために政治をやろうとしている人物を陥れる者たちに、自分たちが何をしでかそうとしているのか解らせなければならない。

 

それはあなたです






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