今回の記事「第二の故郷 大阪」だが、生涯忘れることのない思い出であり、大阪育ちの方々にとっては、「地方の人間が大阪をこういう風に見てた?感じてた?」という雰囲気で見てくださればと思います。

 

特に、この時期(昭和63~平成4年)のミナミに詳しかった人は、懐かしさに溢れるかもしれません(爆)

 

私同様に、地方から都会へ出られた事のある方々にとっては、少しでもオーバーラップできて懐かしんでくだされば幸いです。

 

 

 

 

 


私が最初に住んだのは、

当時流行りの「ワンルームマンション」だった。

 

 

バブル景気が始まった頃だったんじゃないかと思うが、当時はワンルームマンションブームで、「共同トイレ・風呂ナシ」という物件に住む学生は、ほぼ大阪にはいなかったんじゃないかと?

 

「大阪には」ってだけで、東京ならまだそういうのも多かったかもしれない。

物価が高いからね^^;

 

 

私は、駅から徒歩7分・大学まで徒歩20分ぐらいのところに住むことになった。

 

 

物件は、またまた大学からの入学案内に入っていた「不動産紹介」のパンフレットで^^;

 

あんな時代だから情報も無いんで、こういう斡旋で決めることが多い時代だったなぁ~と(笑)

 

 

私の部屋だが

 

・新築

・1階の6部屋並びのど真ん中。

・4畳半(中に浮いてる押し入れ付)。

・ユニットバス付き

・小さいキッチン/冷蔵庫付き

・小さいベランダあり(洗濯機置き場)

・北窓あり(陽が入らない)

・30000円(共益費込)/月

 

という内容だった。

 

 

大家さんは「お米屋さん」で、初めてのマンション経営のようだった。

 

 

初めての一人暮らしの私にとっては、十分な内容だった。

 

 

 

 

昨日も書いたが、私には仕送りがない笑い泣き

 

なので、基本的に自炊となる。

 

 

実家から私が持ってきたのは

 

●ステレオ

(高校時代にバイト代で買ったデカイやつ)

●着替え

●テーブル

●筆記用具

●炊飯器/なべなど

●電話機

 

そんなもんだった(笑)

 

 

 

最初に必要になったのは

 

●洗濯機

●テレビ

●ビデオデッキ

 

だった。

 

 

洗濯機は、地元で買って持ってこれないため、最初から大阪で買うことにしていた。

 

テレビなどは、そもそも受験生の部屋には無いものだったんで、大阪で購入する必要があった。

 

当時はビデオデッキは学生にとって必需品だった。(笑)

 

 

 

そうそう、ビデオデッキについての話題。。。

 

 

 

ある雑誌で読んだのだが、

 

男が使うビデオリモコンの

【早送りボタン】の文字

 

必ず擦れている

(消えそうになっている) 

 

というコラムを見た。

 

 

 

理由は、AV観賞は映画観賞と異なり

 

「いい場面」だけを見るので

基本的に【早送り】をしていくため

このボタンを押す頻度が多くなり

文字が消える

 

そうだ。

 

 

 

帰って自分のリモコンを見たら・・・・

 

本当に文字が

消えていた

笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

余談は置いといて....

 

 

当時の情報源は雑誌しかなく、調べると日本橋にっぽんばしが電気屋街だということで、買いに。

 

※ココ重要!で日本橋を「にほんばし」なんて言っちゃうと、大阪の人にどつかれます!(爆)

 

 

 

たしかジョーシンで買ったと思う。

※当時のジョーシンは関西ローカルだったな~。

 

 

 

 

全ての準備が整い、新生活が始まるのだが、この時点で既に私はアルバイト先を決めていた。

 

 

確か?だが、大学からの入学案内のパンフレットで、4月限定の大学の教科書販売のバイトを募集していて、それに申し込んでいたのだった。

 

 

働かなくては大阪での生活を続けていけないので、直ぐにバイトを始める私だった。

 

 

 

バイト初日。

バイトは学校が始まる前から始まった。(4月からだっかかな?)

 

 

教科書販売のバイトは

何故か1年の2部学生しかいなかった笑い泣き

 

※どうも、1年の2部学生のみの募集だったようだ。

※日中のため、1部学生は授業でできない。

 

 

記憶にあるのは

 

・鹿児島から来た2人(ツレどうし)

・河内長野の武田君(仮名)

・京都の人

・大阪の人が3人ぐらい?

 

だったと・・・・

 

 

 

大阪に来て、最初に友達になったのは武田君(仮名)だった。

 

河内長野から通っている経済学部の学生で、裏表のない性格でちょっと男前という、とてもいいヤツだった。

 

 

私が地方出身だと即分かった(方言があるんで)武田君は、大阪の基本を私に伝授してくれた最初の友達だ。

 

 

 

河内長野住まいということもあり、キタよりミナミの方が詳しいということで、

 

 

※河内長野とは和歌山よりの大阪府。

(南海電車の終着が難波)

 

 

武田君のガイドは

基本的にミナミだった。笑い泣き

 

 

 

 

この武田君が 

 

最初にミナミではなく

キタを案内していたら?

 

私の学生生活は一変していただろう。笑い泣き

 

 

 

※大阪で、キタとは梅田周辺の事で、ミナミとは難波周辺をいいます。

 

 

 

三角公園・道頓堀・ロケット広場(今もあるのかな?)・その前のハーゲンダッツなど、当時のミナミのド定番を教えてもらった。笑い泣き

 

初めて食べたハーゲンダッツはクッキー&クリームだった。 あまりの美味さに感動したことを覚えている。笑い泣き

 

 

 

 

 

 

そして、学校が始まる前。

 

私にあの事件が起こる。

 

当時の彼女の妊娠だ。

 

 

 

詳しくは「自立できない自己中女7」をご参照。

下矢印

 

 

 

 

 

その悩みを抱えながら、

私は初めての登校日を迎えたのだった。

 

 

 

つづく。。。

 

 

 

 

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