バッシングは
被害者遺族にも加害者家族にも起きていたことでした。
『しね』『消えろ』『家族だからなんだ?』
なぜ起きたのか?
↓いまは消えている動画です
見ていただくと、被害者、加害者は関係なく
無差別にこの事件関係者の誹謗中傷があると感じました。
どこから始まったのか?それは
1 法律が分かりにくさ
2 罪との向き合い方
3 命との向き合い方
被害者と加害者のどちらにも関わることです。
被害者家族は亡くなった、大切な家族の声を届け真実をしること
加害者は、裁判という公の場で、厳正なる法のもと正当な判決にむけ、自分と向き合うため
さて本題です!
もっと法律がわかりやすければ
この『逮捕されない』という問題にたいしては
早期に解決できました。
未だにその論争の中にいる人もいます。
※ご遺族には丁寧な説明がありました
または法律関係者は最初からわかるでしょう。
ですが私自身も事故の当初、人が亡くなったのだから即逮捕と思っていました。
でも、被害者を交通事故死させたら、即逮捕されずっと勾留されることのほうが珍しいのです
とても悪質性が高い、または、共謀や逃亡の恐れがある場合に、逮捕され勾留されさらに勾留延長されるのです。
交通事故死で人が亡くなっても、釈放はとても早くにされます。たとえば翌日釈放などのケースもあります。
これは、犯罪被害者になって初めて知りました。
とても驚きました。
危険運転致死傷罪にしても、
わかりにくいことや、法制度の解釈によってとても細かい分類がされています。
(警察官の捜査力お検察官の腕にかかっているきがしますが!)
例えば
危険運転致死傷罪
2条違反と3条違反は飲酒量ではありません!
2条違反→正常な運転ができないと分かっていながら、運転し、案の定事故った場合。
裁判員裁判ができる
3条違反
→正常な運転ができないわけじゃないな、でもひょっとしたら、その恐れがあるかもしれないな、と思って運転したら、案の定事故った場合です。
裁判員裁判ができない
被害者参加だけが適用される
わかりにくいですよね!
お酒を飲んで人を死傷させたら、危険運転致死傷罪として分類せずに法律を分かりやすくし
その上で厳粛なる裁判員裁判が行われてほしいです。
ですが、本来、法律は私達が生きるなかでのルールです。
大人から子どもまで
車から自転車にも車両を
乗るものの責任が問われるのですから
そのルール(法律)がわかりにくいとは。。。
そもそも問題がありませんか?
分かりやすい法律が加害者や被害者
加害者家族または、被害者家族へのバッシング
そしていきすぎた報道や
極端な解釈を防止できるのではないでしょうか?
一部の限られた法律をつくる学者さんや、
法律関係者だけが
理解できる法律ではなく
私達、国民が
子どもたちも含めてわかりやすい
法律を求められているのでは
ないでしょうか。
上記の様な報道は
多くの方に自分の事として置き換えて考えてもらえ、事故の撲滅や抑止になります。
それは被害者にも加害者にもならないということです。
犯罪に遭遇すれば、だれもが苦しみ悲しみそして、普通の精神状態ではいられません。
社会に繋げるわかりやすい報道をお願いします
犯罪被害者遺族となり
罪と向き会う時、
そして世の中に真実を伝えたいとき、
報道機関のかたの取材は
世の中の多くのかたに法の矛盾や、法廷での思いを伝えられる大切な場所と時間になります
だからこそ、心を込めて精一杯お伝えします。
眠れず、食べれず、悩み、苦しんでも、真実と向き合うことが家族への愛と思う遺族もいます。
(ご了解を得てお写真の掲載をしております)
『松永さんの思い』を代弁いたします。
池袋暴走事故では
被害者は2名の命が亡くなりました
その他にも多くの負傷者が。。。
遺族となると
新しい想い出は作れません
最後の苦しみと恐怖はドラレコにすべて残っています
だから家族だからこそ代弁しています。
夫として父として
裁判で代弁しています
迷い苦しみ悲しみ悩み
眠れずに、食べれずに、何にも手つかず
寝る前には
絵本を持ちお話をしてあげるその習慣は
死後も続けていました
毎日亡くなった家族を思い
朝になるのです。
たまにみる夢の中では、笑顔のふたり
愛しても愛しても会いたくても
会えません
だから、もう2度と事故のニュースをみたくない
そんなただ当たり前の家族の物語に
終止符を突然打たれたのです
それだけはしってほしい
もうこれ以上苦しみたくはない
こんな思いを他の人にもさせたくない。。。
だから
今日も。。。
玄関を出るとき
『行ってきます』
ふたりに言います
心のなかで