先日、JAM THE WORLDというラジオ番組に電話出演し、最低賃金と生活保護費の逆転現象解消についてお話ししました。

しかし、どうも番組の色と私の主張がずれていたようで、なんとなく曖昧模糊としたやりとりに終始してしまったような気がします。

当方の主張としては一環として


・最低賃金と生活保護費を比較するのはナンセンス(労働対価と生活給付を比べてはいけない)
・最低賃金を気にするような労働環境に居る方は、生活費の安い地方部で働いた方がQOLが上がる
・上記の視点に立って、労働の意味を見つめなおすべき(可処分所得から家計支出を差し引いた家計レベルで賃金比較するべき)

ということでしたが、どれほど伝わったでしょうか…?

なお、この問題を語る上で外せないのが「最低賃金上昇伴う企業業績への影響」です。

企業にとって最も大きい支出は人件費です。

最低賃金があがるということは、付随して社会保険料なども上がりますので、企業としては賃金を上げる事が売上アップにつながるという確証を得られないうちは踏み切る事が出来ない。

しかし、社会的なコンセンサスとして賃金上昇が叫ばれてしまうと、その分を何某かの対応をすることにより補てんするしかないわけです。

その結果、多分商品の原価などに転嫁され、昨今の中国産食材のような問題につながっていくと思います。

そして、そのような社会問題に直面するのは、安価な商品の主要な消費者である、最低賃金で働いているような人であったりします。

多分、最低賃金を上げるという動きが直面してゆく問題の最大のポイントは「貧困層がより一層割を食う社会になってゆく」ということなのではないかと思います。

これを解消するためには

・賃金を上げても企業が利益を出せる適正な価格を社会として受け入れていく
 ⇒牛丼260円という価格設定は、その裏で犠牲になっている人がいる事を知る

・家計収支の観点から、本当に必要なモノ、サービスを取捨選択していく
 ⇒ワーキング・プアなのにスマホの課金ゲームに何万もつぎ込むような生活を改める

という事を、個人レベルで受け入れるしかないと思います。

最低賃金問題は貧困問題と並列で語られますが、私としては個人のマインドセットで解消できる問題なのではないかと思います。
先日立ち寄った本屋で何気なくマンガの新刊をみていたところ、コミック版のアルスラーン戦記を発見しました。
アルスラーン戦記と言えば、私が中学校の頃にはまった田中芳樹氏の小説です。
中世ペルシャがモチーフの架空世界が舞台で、十字軍をモチーフとした敵国の侵略により国を追われた王子(アルスラーン)が部下や仲間の協力を得て国を取り戻しに立ち上がるというヒロイックサーガです。
中学生当時の感想としては、アルスラーンの周囲に集まる仲間がカッコいいだとか、戦闘のシーンが熱いだとか、そういうところが気に入っていた記憶があります。

さてあれから二十数年、コミック版で再読したアルスラーン戦記は私に新しい発見をもたらしてくれました。
アルスラーン戦記は「民主型リーダーシップ」の教科書だったのです。

■リーダーシップの類型とは?

よく聞く「リーダーシップ」という言葉ですが、これは「専制型」と「民主型」「放任型」の3つに分類することが出来ます。
専制型は字のとおり「リーダーが専制的に決定を行う」ということで、スタートしたばかりの組織や創業者などによく見られる傾向です。
ちなみにアルスラーン戦記では、アルスラーンの父親であるアンドラゴラス王が専制型の典型として書かれています。
次に放任型ですが、これはある意味すべてを部下に「投げっぱなし」なスタイルで、組織が完全に出来上がって機能している場合や、NO2やフォロワーがしっかりしているような場合にみられる傾向です。
アルスラーン戦記では、敵国のイノケンティウス7世などがこのパターンでしょうか。

■民主的リーダーシップとは?

最後に民主的リーダーシップですが、これはリーダーが部下と一緒に方針を討議し、決めていくスタイルで、アイオワ研究で有名なレビンによると「最も理想的なリーダーシップの姿」とされています。
ここでアルスラーン戦記に戻ると、アルスラーンは「国を取り戻す」という強い方針のもと、能力の高い部下や仲間がその能力を最大限に引き出せるよう立ち振る舞っています。
民主的リーダーシップの要件は、部下を組織運営に積極的に関与させることと、部下の能力を最大限引き出すことですが、(ファンの間では)あまりにも有名な「ナルサスの忠誠を得る」シーンなどは、小さいながら会社を経営している自分としては唸るしかない画面であります。

■二代目経営者はアルスラーンになれるか?

中学生の頃感じたアルスラーンの印象と、この年になって感じたアルスラーンの印象は、正直なところ真逆です。
当時は「なぜこの王子にみんなついていくのだろうか?」と疑問でした。
しかし、アルスラーンは民主的リーダーシップを本能的に実行できるリーダーであり、今となれば部下や仲間たちは望んで忠誠を誓ったのだろうという事がよく理解できます。
これは、経営者であればだれもが望み、そして最後まで悩みぬくテーマの一つなのです。

この物語は、創業者から事業を継承する二代目経営者にとって、特に心に響く事でしょう。
専制型が許される初代から、ただその血にうまれたというだけで跡目を継ぐ二代目にとっては、古参であれ新規であれ社員の力を借りて行うより他ありません。
そしていつかは社員自らが能動的に組織運営を目指すよう、組織作りをしてゆく必要があります。

そんな時、この物語が何らかの手助けになるかもしれません。
現在2巻まで出ていますので、興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。
3巻が非常に待ち遠しいです(11月発売の様です)
私には84歳の祖母がいます。
好奇心旺盛な人なので、内容を理解できないニュースのトピックなどについて聞かれるのですが、そんな祖母から先日「ビットコインはインターネットバンキングとどう違うのか?」と聞かれました。
私は銀行員時代にインターネットバンキングの企画開発を担当しており、家庭などでもそういった話をしていた関係で、多分祖母にはなんとなくインターネットバンキングというものが「インターネットでお金を扱うもの」という認識があったのでしょう。

一方私としては、仮想通貨のビットコインと銀行預金の決済チャネルの一つであるインターネットバンキングを並列で聞かれる事に違和感がある(というか全然別物)ことから「ばあちゃん何言よんな~、全然別物やわ。」と返答し、祖母のリテラシーのなさをフェイスブックに書いたりしました。

しかし、その後日が経つにつれ、実は祖母の質問は物凄く核心をついていたのではないかと思い至りました。
多分、足りていなかったのは祖母のリテラリーではなく、私のマイニング能力だったのはないかと。
今後急速に普及してゆくであろう仮想通貨と付き合っていくうえで、祖母の質問には正しく回答しておくことが必要です。

■なぜ祖母はビットコインとインターネットバンキングを混同したのか

なぜ祖母はビットコインとインターネットバンキングを混同したのでしょうか…というか、何故私は祖母の質問をスル―したのでしょうか?
私から見ると、仮想通貨のビットコインは、あくまでWAONやTポイントなどの特定の企業が付与する「仮想通貨(=ポイント)」という感覚でした。
一方、インターネットバンキングはあくまで預貯金、通貨は国により担保されています。
つまりこれらは、その成り立ちも信用力も並列に語るべきものではなく、そもそも比較することがおかしいという感覚です。

一方祖母から見ると、実店舗でも通貨の代わりとして使えるビットコインはユーザビリティの観点で実通貨に近く、インターネットを通じて移動や残高照会ができるのであれば、インターネットバンキングと何が違うんだろうという感じだったのでしょう。

確かにそういう観点から見れば、実際の預貯金口座であってもインターネットバンキングで残高管理を行い、デビットカードやクレジットカードで「実際に通貨や紙幣を使用しないで」決済を行う行為はビットコインと変わりありません。

今回ビットコインが突き付けた問題は、こうした「通貨と仮想通貨の錯覚」にこそあったのではないかと思うのです。

現金を介さない決済が多様化すればするほどリアル通貨と仮想通貨の境界は曖昧になり、「通貨の信用力」を原因とする問題が発生してくると予想されます。

■ポイントは「誰によって担保されているか?」

既に、私たちの生活に大きく根を張っている仮想通貨。
例えば前述のWAON、セブン&アイのナナコ、JRのスイカなど…
これらは発行企業により担保された、いわゆる「プリペイド(先払い)」の仮想通貨です。
ユーザーは前金で企業にお金をわたし、その金額(場合によってはインセンティブが加算されます)の範囲内で資金決済を行います。
裏を返せばその仮想通貨の発行体が破産などで支払い能力を失った場合、プリペイドされた分のお金については返ってくる保証がありません。
これは国家でも同じですが、国家破産によりその国の通貨の価値が急落するように、仮想通貨の場合も、その信用を担保しているモノが破産すると、その通貨の価値が下落(もしくは消滅)するのです。
そういう観点から言えば、通貨であれ仮想通貨であれ、最も重きを置くポイントは「誰によって担保されていて、発行主の信用力はどの程度か?」ということを見極める事が最重要であることは間違いないでしょう。
私の祖母が混同したように、今後仮想通貨はどんどん増えてゆき、さまざまな決済手段に絡んでくると予想されますので、こういった観点を持つことはますます重要になってくる事でしょう。


長い間専門的な世界に浸っていると、一般の人が疑問に思うことを疑問に感じる能力を失ってしまう気がします。
そういう意味で、今回の祖母からの問いかけは自分の視点の軸を戻す良い機会であったと思いました。
何より、84歳の祖母の問いかけを鼻で笑ってしまった事に反省しきりです。
ごめんね、ばあちゃん。
歴史的演技から二日、私は改めて浅田真央さんという人の素晴らしさを思い知りました。

人間的魅力や演技者としての素晴らしさもさることながら、彼女の演技は「経営者」としての私の心に響きました。

そして多分、それは他の経営者の方も同じなのではないかと思います。

今回は、興奮醒めやらぬうちに「どのようなポイントが経営者としての自分に響いたか」について書き残しておこうかと思います。

■その1:記録への挑戦

今回、浅田選手は女子スケーターとして初、一つの演技に8回の3ジャンプを組み込む演技構成にチャレンジしました。

なお、前回のバンクーバーでは一演目中2回の3アクセルを組み込み、これも女子スケーターとしては史上初であったと記憶しています。

この「常に前人未到の領域に挑戦する」姿が、事業継続という「前人未到の長いマラソン」の途中にある自分自身、そして多くの経営者の姿にダブったのです。

奇しくも孫正義氏は「己で己の限界を決めていないか?」と自分に問い続けると言います。

この「あくなき挑戦」の姿勢こそが、彼や彼女が一流であることの証なのでしょう。

しかし、自分も含め多くの経営者は凡人です。

ただ、志を高く持ち挑戦を続ける事こそが凡人をして「事業継続」を生き抜く唯一の方法であると、彼女は改めて気づかせてくれたのです。

■その2:失敗からの復活

SPをまさかの16位で終えてしまった浅田選手。

どんな人間にも挫折があり、多くの場合は再浮上する事さえままなりません。

しかし、FPでは素晴らしい演技を見せてくれた彼女。

FP後のインタビューで「SPでダメだったところを一つ一つ修正していった」という内容の発言をされていましたが、この発言私には「基礎基本こそが最も大切。万一の場合には基本

に立ち返るべし」という意味に聞こえました。

精神的な落ち込みを乗り越え、基礎に立ち返えることであの「神がかったFPの演技」を見せてくれた彼女は、ともすれば短視眼での業績評価をされやすい中、外野の声と折り合いを付けながら、長いビジョンに基づいて日々の稼業をこなしてゆく多くの経営者の目標とすべき姿なのではないかと感じたのです。

一流への道に近道がないように、立ち返るべきは基礎基本であり、泥臭い基礎の繰り返しこそがスランプを乗り越える唯一の方法であると、超一流の彼女の演技が教えてくれたのです。

■その3:心を揺さぶる

SPの失敗を乗り越え、前人未到の3ジャンプ8回に挑戦し、みごとやりきった彼女の姿は観客のみならず世界中のスケーターの心を揺さぶりました。

彼女の演技は3ジャンプ8回という「記録」に留まるだけではなく、それ以上に人の心を掴みました。

あのミッシェル・クワンをして「生涯忘れる事はない」と言わしめた演技は、この先も長く語り継がれる事でしょう。

「記録」は破られると消えてしまいますが、「記憶」は簡単に消えません。

経営者であればだれでも、自分の事業やサービスが顧客の「記憶」に残ってほしいと願っています。

それは収益云々ということ以前に、多くの経営者が純粋に「顧客に価値を提供したい」「顧客に認めてもらいたい」と考えているからです。

そして、彼女の演技は私たちに「マイナスの感情を乗り越え、本気で真剣に立ち向かえばこそ、その境地に至れる」という事を教えてくれたのです。


駆け出し経営者の自分にとって、彼女の真摯で妥協を許さない演技に何度鼓舞された事でしょうか。

引退の憶測も出ているようですが、今はただ本当に「素晴らしい演技をありがとう」と言いたいです。
東京五輪を前に、「外国人労働者」受け入れに関する規制が緩和されるようです。

かつて楽天やユニクロが外国語を社内公用語として指定した際、私は以下のような未来を予想しました。

・サラリーマンは極端に二極化(ハイサラリーかローサラリーか)する
・ローラサリーは外国人労働者と仕事を奪い合う
・これらは都市部で顕著となる

これは外国人労働者の流入が自由化される事を前提に書きました。今回、規制が緩和されることで、この流れはより一層強まることでしょう。

単純労働であれば「そこそこ日本語でのコミュニケーションが取れ」「単価が安く」「日本人よりも忍耐強い」外国人の雇用が有利になる事は、経営者視点を持つまでもなく想像に難くありませんし、私も一経営者として賛成です。

この規制緩和に賛成とか反対ということではなく、「外国人の雇用がこの先増えるという前提でどう動くか」が問われているのです。

■YESもNOもいばらの道かもしれない
外国人の単純労働力を取り込むという動きは、治安などの面で一定の不安を覚えますが、長い目で見れば「いつか至る道」であったと言えるでしょう。

もし国民が本気でこれに反対したいのであれば、出生率を上げるとか、労働法を変えるかと、賃金を下げるとか、「なぜ労働力が足りないのか」という本質的な問題に、もっと真剣に向き合わなければなりません。

しかし、日本国民は本当にそんな痛みを請け負う事が出来るのかを考えると、個人的にはやや疑問です。

■国の方針を確認しよう
中小企業庁が年に一回発刊する「中小企業白書」を読むと、国がどのような方向を望んでいるのかがよく分かります。

平成25年度のテーマは大きく分けると、「女性とシニアの労働力をどう掘り起こすか」と「高付加価値化して海外マーケットに出よう」です。縮小する国内マーケットと国内労働市場をイノベーション的な切り口で乗り切ろうとする姿がよく分かります。

今回の規制緩和は、これに「国内労働市場に外国人労働者を取り込む」という大きな柱が追加されたということなのでしょう。