以前にもこの部分については少し触れたのですが、最近季節はずれの「総譜 第九」というキーワードでこちらへいらっしゃる方が多いので、もしやと思ったら「さよならピアノソナタ」でも検索されていることに気付きました。

うん……、杉井センセによる解説とようつべへのリンクで理解できる人には理解できるんでしょうが、やっぱり楽譜がないことには説明のしようが無いんですよね。いつもの朗唱を聴いたって、伝わらないと思うんです。



さよならピアノソナタ4、65ページ。

「そして始まる第九の終楽章、すさまじい不協和音をぶつけ合いながら弦と管が崩れ落ちて再び盛り上がる。」

ベートーベン交響曲第九番の第四楽章には、冒頭に不協和音をぶつけ合いながら崩れ落ちる、という部分が二箇所有ります。「プレスト」と呼ばれる部分、つまり第四楽章の一番最初の部分。

ところが、同じ音を刻む箇所がもうひとつ。ある部分を無視すると、休符まで第一部と全く同じに聞こえる第二部の冒頭(プレスト)です。この違いが「弦と管が崩れ落ちて」の描写に現れています。

第一部冒頭では弦は不参加。第二部冒頭には弦が加わるという違いです。

一行前に「たぶん練習を録ったものだ」とあり、そのテープに収められているのはエビチリ(まふ父)が第二部から部分練習を始めたものであることが分かります。

もっとも、その前の哲朗とエビチリのやりとりで、その後の部分というのは詳しい人ならすぐ分かる話ではあるのですが……。


(ちなみに、第二部からのみ演奏した例として印象深いのは長野オリンピック開会式です)


で、全パートに休符が入り、


NameAi-パート

これが「バリトンの朗唱があるだろ、あの最初んとこでメロディが二本書かれてるじゃん」と哲朗が指摘している部分。この経緯と解説については杉井センセが既にブログで述べられていますので省略します。

これは私の主観ですが、わざわざ哲朗が「エビチリお前下を歌え」と言っているということはつまり、哲朗とエビチリとでは、エビチリの方が声が低いのではないか、というキャラクター設定が浮かびます。あるいはただ単純に、聴き慣れている上の方が歌いやすい、と考えているかもしれません。私の頭の中では哲朗=軽薄、エビチリ=ダンディというキャラ設定があったので、ここでさらにそれが増大しました。


杉井センセが述べられた解説を補足する意味で、これは私見ですが、

第一部冒頭、全パートに休符が入った後に


NameAi-バス
こんなコントラバスパートが有ります。

フォルテのあるところから四小節一音目までは、第二部のバリトン朗唱がなぞっている、ということです。立ち上がりにいきなり高い音を出すことは楽器なら難なく可能ですが、人間の肉声、それもパートの限界点に近い音を出すのが難しいので(以下センセの解説どおり)。

ちなみに実際はバリトンパートでももうちょっと高い音を出すところがありますが、きっと喉が温まるので大丈夫なのでしょう。




総譜のパート一部分だけ切り取って掲載したので、余計混乱するかもしれませんね。すみません。他にも細かい描写があったりするので、手元に楽譜があれば提示できるのですが、今の私にはこれがいっぱいいっぱいです(あ、肝心なピアノの譜面なら入手可能か)。



しかし……。数行の描写でさらりと書かれてますが、プレストをこう表現するのかぁ、やっぱり凄いなぁ、と思う次第です。感覚的にはつかめていても、「プレストを」と五字で済ませてしまいそうな、けどやっぱり表現で悩みそうな部分をいとも簡単にまとめてしまうなんて、やっぱり私には到達不可能な領域かもしれません。


 演奏で表現できても文字で表現できないと、何の意味も持たないんだよなぁ。

 過去の受賞なんてうんこみたいなものさね。



#て、自分の原稿放置した上に親につきあった挙句、

 例の右手の薬指と小指が利かなくなる症状が出て、

 さらに原稿ほったらかしにしているというのに、

 何をこんなに長々と書いてるんでしょうか、私は。