28日にソウルで行われたサッカー東アジア・カップ日韓戦で、韓国のサポーターが「歴史を忘れた民族に未来はない」と書いた巨大な横断幕を掲げた問題。極めて残念です。

 

 

スポーツの場での政治的な主張で思い出すのが、「平和の祭典」であるはずの昨年のオリンピックです。男子サッカーの3位決定戦で、朴鍾佑(パク・チョンウ)選手が「独島(竹島)は我々の領土」と書かれたプレートを掲げ、国際サッカー連盟から出場停止などの処分を受けました(当時のブログ:オリンピックと竹島問題 )。

 

 

中高サッカー部に所属していた私にとって、サッカーは特別な存在です。FIFAによると、サッカーの競技人口は26500万人以上。ある調査によると世界のサッカーファンは、16億人。スポーツを通じて世界平和を、と考えた時サッカーは最適な競技だといえます。

 

 

逆にこれだけのファン人口をほこるからこそ、政治的に利用した場合の影響力も大きいといえるのかもしれません。

 

 

しかし、その影響力を利用しようと考える人々に是非立ち止まって考えてほしいのが、テレビの前にたくさんの子ども達がいるということです。

 

 

高度なプレーに感動し、フィールドを走る選手にあこがれ、興奮冷めやらぬまま床について自分が世界の舞台でプレーしている夢を見る。そんな子ども達の存在に想いを馳せてほしいのです。彼らがスポーツの場での政治的主張を見たとき、どんな気持ちになるでしょうか。

 

 

子ども達が純粋にサッカーを楽しむとき、相手の技術を称え合い、そこから相手に対する興味が生まれる可能性があります。その出発点があれば、政治的な対立さえ乗り越える糸口になるかもしれません。はじめから敵愾心を持つだけでは歩み寄りは生まれないでしょう。

 

 

サッカーが持つ平和への可能性について、我々「大人」はもう一度考えてみるべきだと思います。