3.11に思索する | 金谷康佑Blog

金谷康佑Blog

「JazzPianist金谷康佑」の日々感じたことや演奏情報をマッタリと書き綴ります。

日付け変わって3.12になりましたが、ようやくゆっくりと3.11への思索を巡らせることができます。

阪神淡路大震災で被災して、人生への価値観が大きく変わり、自分のための音楽から、人々のための音楽に舵を切って、震災から丸5年を要して、音楽に『命を使う』、音楽を『使命』としようと決意しました。

以来、被災した方々に寄り添うことのみならず、人々の心の中の棘を溶かせることができればいいな、と思って曲をかくことが多いです。

阪神淡路大震災は、ぼくの苦しみだけの生活を、さらにさらに苦しい苦しい生活に突き落としました。
いま考えれば、苦しみに耐えるだけの体力と気力があった年齢であったことと、数知れない人々から忘れられない『恩』を受けたおかげで今日まで生きてくることができています。

ぼく自身の震災の傷がようやく癒え始めたころ、東北の大震災が起こりました。それまではただただ遠い地で右も左もわからない東北に思い切ってでかけ、被災した人々に寄り添いたい一心で演奏をしたことが、今の音楽活動の大きな部分を占めることになろうとは予想だにしませんでした。

ぼくを関西の父と慕ってくれる被災シンガーasariのオリジナルの名曲『恩送り』。それは、ある人から受けたご恩は、必ずしもその人に返さなくても、別の人に返してもいいんだよ、という意味とのこと。

生まれてから阪神淡路大震災以前までの苦境で受けたご恩、阪神淡路大震災後の苦境で受けたご恩、ご恩だらけの人生ですが、これらのご恩は、家人はじめ、今ぼくの身の回りにいる人々(レッスン生や全国の音楽仲間や苦楽園の仲間、いつもコンサートやライブに来てくださる人々など)と、東北の人たちにお返ししようと思っています。

災害は断じてあってはならないこと。平穏な日常を壊され、何一ついいことはない。しかし、マイナスを転じてプラスに変えるチカラもまた人は持っているはず。
被災から、感じ、成長し、そして新しい出会いがあったことも事実。

自分が被災したから、音楽が変わった。音楽が変わったから、いや音楽が変わるための触媒として、ツヨシやアキラに出会った。彼らに出会ったから、東北に思い切って行けた。東北に行ったから、ぼくの音楽を受け入れてくれたコンツカやオノデラやタムラたちと出会い、仲間ができた。だから被災したasariに出会うことができた。だから『恩送り』という言葉を知ることができた。言葉を知ったから、恩送りしようと思った。 
恩送りしようと思ったから、同じこと考えてるFMのササキやアイコと深まった。ササキと深まったから、福島のサトウやナギに出会った。アイコと深まったから西宮んズができた。

すべての連鎖は、まるで誰かに書かれた壮大な出会いのシナリオで、エンドレスストーリーだと感じる。

人は誰しも苦しみや哀しみを持つ。だから共有して分散し、分かち合おう。

ぼくの苦しみと哀しみもね。

音楽のチカラはそこにあると思う。

ぼくの、魂を磨くことのみを目的とした人生は、あと何年なんだろう。(せめて10年はちょーだいね!)
※文中敬称略。